今回は、フランシス・ドレークの生涯やエリザベス1世との関係、そして私掠船とは何だったのかを解説します。
フランシス・ドレークの概要
フランシス・ドレーク(1540年頃~1596年)は、イングランドの航海者・探検家・軍人です。若い頃から船乗りとして経験を積み、大西洋やカリブ海で活動しました。当時のヨーロッパではスペインが新大陸から莫大な富を運び込み、世界最強の国として君臨していました。ドレークはスペイン船を襲撃しながら航海経験を重ね、1577年から1580年にかけて世界一周航海を成功させます。
いや、世界一周ってさらっと言いますけど、当時は命がけですからね、ええ。現在なら飛行機で数十時間ですが、当時は未知の海域や嵐、病気と戦いながらの航海でした。帰国後、彼は国民的英雄となります。
私掠船とは何か?
ドレークを語る上で欠かせないのが「私掠船(しりゃくせん)」です。私掠船とは、国家から許可を受けて敵国の船を襲撃する民間船のことです。現代の感覚だと、海賊=犯罪者ですが、当時の私掠船は少し事情が異なりました。国王や女王から許可証を受けた船は、
- 敵国の商船を襲う
- 積荷を奪う
- 賞金を得る
ことが認められていました。つまりイングランドから見れば英雄スペインから見れば海賊だったのです。立場が変わるだけで評価も変わる。ドレークはまさにその代表例でした。
エリザベス1世とのつながり
ドレークとエリザベス1世の関係は非常に深いものでした。当時のイングランドはスペインと激しく対立していました。しかし国力ではスペインが圧倒的に上です。そこでエリザベス1世は、ドレークら私掠船を利用してスペインに経済的打撃を与えようとしました。ドレークがスペイン船から奪った財宝は莫大であり、その利益の一部はイングランド王室にももたらされました。世界一周から帰国したドレークを、エリザベス1世は自ら訪れてナイト爵位を授けています。これは極めて異例の栄誉でした。
「海賊扱いされる人に女王自ら爵位授与って、スペインが聞いたら血圧が上がりそうです」ドレークは単なる船長ではなく女王の戦略を支える重要人物だったのです。
↓他の海賊たち↓
ドレークの戦闘力と航海力
戦闘力
ドレークは剣豪として有名だったわけではありません。しかし優れた指揮官でした。
- 奇襲を得意とする
- 情報収集能力が高い
- 少ない戦力で成果を上げる
といった特徴があります。特にスペイン船への襲撃では、大きな成果を挙げました。1588年にはスペイン無敵艦隊(アルマダ)との戦いにも参加しています。この戦いでイングランドは勝利し、スペイン海軍の威信は大きく低下しました。


航海力
ドレークの真価はむしろこちらでしょう。彼は
- 長距離航海
- 船団運営
- 海流や風の利用
- 補給計画
に優れていました。世界一周航海を成功させたこと自体が、その能力を証明しています。当時の航海では、壊血、病嵐、座礁、食料不足などで命を落とす船員が後を絶ちませんでした。その中で地球を一周して帰還したことは驚異的です。GPSもない時代に地球を一周する人類。さすがドレイク(フレンドリー)。
スペイン無敵艦隊との戦い
1588年、スペイン王フェリペ2世は、イングランド侵攻を目指して巨大艦隊アルマダを送り込みました。このときフランシス・ドレークはイングランド艦隊の有力指揮官の一人として参戦します。アルマダ戦というと、よく「イングランド艦隊がスペイン無敵艦隊を撃破した!」と簡単に語られます。しかし実際の記録を見るとイングランド側もかなりギリギリでした。
Navy Records Society『The Defeat of the Spanish Armada』に収められた書状では、イングランド側の指揮官たちが、食糧や弾薬の不足に悩まされていたことが何度も出てきます。勝った側なのに、普通に兵站で泣いてます。ドレーク自身も8月8日のウォルシンガム宛書状で女王が軍勢を維持し続けるべきかどうかについて触れています。そこで彼は、かなりはっきりした意見を述べています。
少しの費用を惜しんで王国を危険にさらすような助言は自分なら女王にはしない、というのです。つまりドレークは、アルマダが北へ去った後も「もう勝ったから解散でいい」とは考えていませんでした。むしろパルマ公はなお大きな脅威であり、もしメディナ・シドニア公を見つけられるなら合流しようとするだろう、と警戒しています。勝利ムードに流されない現場指揮官頼もしいですね。
この点はかなり重要です。アルマダ戦の本質はスペイン艦隊単体との海戦だけではありません。スペイン艦隊がフランドル方面のパルマ公軍と合流し、その兵士たちをイングランドへ上陸させることが本来の狙いでした。だからこそドレークはスペイン艦隊を追い払った後もパルマ公の動きを強く気にしていたのです。さらにドレークは女王宛の書状でも、パルマ公の企ては混乱させられ、スペイン軍は北方へかなり遠くまで追いやられたと報告しています。そのうえでスペイン艦隊の船は水漏れし索具・帆・ロープ・マストが損傷しており多くの船は生き残れないだろう、と見ています。
ここから分かるのは、ドレークがアルマダ敗北を単なる「嵐のおかげ」とは見ていなかったことです。もちろん彼は嵐や暴風を神の助けとして語っています。しかし同時にスペイン艦隊はイングランド艦隊との戦闘で、船体・帆・索具・マストを大きく損なっていたとも見ていました。つまり、ドレークの認識では、
- イングランド艦隊がスペイン艦隊を北へ追いやった。
- スペイン艦隊は戦闘で損傷していた。
- そのうえで嵐と暴風が追い打ちをかけた。
という流れだったのです。嵐だけで勝った、ではない。殴って弱らせたところに嵐が来たということです。また別の書状では、ドレークがかなり疲れていたことも分かります。8月8日のウォルシンガム宛書状の末尾で、彼は自分を「今は半分眠っております」と書いています。これは少しユーモラスですが同時に現場の疲労感も伝わってきます。アルマダ戦は華やかな勝利の裏で長い追撃、悪天候、補給不足、睡眠不足が続く消耗戦でもありました。ドレークは、勇敢な私掠船長としてだけでなく、勝利後の危険を冷静に見ていた実戦的な指揮官だったと言えるでしょう。
フランシス・ドレークから学べること
ここからは個人的な見解になりますがドレークの人生から学べることは多くあります。
1. 情報と準備の重要性
ドレークは無謀な冒険家ではありませんでした。敵の動向や航路を調べ、成功確率を高めてから行動しているように見受けられます。運だけで成功したわけではないのです。
2. 変化を恐れない
未知の海へ出ることは大きなリスクでした。しかしドレークは既存の常識に縛られず挑戦しました。新しい時代を切り開く人には、この姿勢が共通しています。現代でもリスクを取らなければ成功はありえませんよね。
3. 視点によって評価は変わる
ドレークは「イングランドでは英雄」「スペインでは海賊」でした。歴史を学ぶ際は一つの視点だけでなく複数の立場から見ることが大切だと教えてくれます。多角的な視点を持つことは歴史のみならず実生活でも本質を見抜くうえで非常に重要なスキルのひとつですから。


まとめ
フランシス・ドレークは、世界一周を達成した航海者であり、エリザベス1世を支えた私掠船長でした。
- 世界一周を成功させた航海者
- スペインを苦しめた私掠船長
- エリザベス1世から爵位を授かった英雄
- 優れた指揮官であり航海者
という多面的な人物です。そう、アルマダ戦の書状を見ると彼は単なる荒くれ者ではありません。敵の再来を警戒しパルマ公との合流を恐れ軍勢の早すぎる解散に反対する、かなり現実的な軍人としての姿が見えてきます。しかもその一方で激戦と追撃の後には「今は半分眠っております」と書くほど疲れていました。
英雄も眠い。それでも少しの費用を惜しんで王国を危険にさらすな、と言い切るあたりにドレークの現場感覚と危機意識が表れています。フランシス・ドレークは海賊的な大胆さと戦争の終わり際を見誤らない冷静さを併せ持った人物だったのです。
参考資料・出典
- Encyclopaedia Britannica “Sir Francis Drake”
- Navy Records Society, The Defeat of the Spanish Armada, Vol. II, 1894.
- Encyclopaedia Britannica “Spanish Armada”


