はじめに
ジャンヌ・ダルクと共に戦った人物としてはラ・イルやデュノワが有名ですが、実は王族に近い身分でありながらジャンヌを強く支持した人物がいました。それがアランソン公ジャン2世です。ジャンヌの戦友の中でも特に彼女との関係が深く、「ジャンヌ軍団の貴族代表」とも言える存在でした。今回はアランソン公の生涯と、ジャンヌとの関係について解説します。
アランソン公とは?
アランソン公(Jean II d’Alençon)は1409年に生まれたフランスの大貴族です。父ジャン1世は1415年のアジャンクールの戦いで戦死しました。「いきなりイングランド軍に父親を討たれてるじゃないか……。」そのため幼くしてアランソン公位を継承することになります。しかし百年戦争の真っただ中だったため、その人生は波乱に満ちていました。
若くして捕虜になる
1424年、ヴェルヌイユの戦いでフランス軍はイングランド軍に敗北します。この戦いでアランソン公は捕虜となりました。身代金は莫大な額となり、解放されるために多くの財産を手放したとされています。後には「フランスで最も貧しい男」と呼ばれるほど困窮したとも伝えられています。公爵(貴族)なのに最も貧しい男とはどういうことだよ
ジャンヌ・ダルクとの出会い
1429年、捕虜生活から解放されたアランソン公は、シノンに現れた若い娘ジャンヌ・ダルクの噂を耳にします。当時のフランス貴族の中にはジャンヌを疑う者も少なくありませんでした。しかしアランソン公は早い段階から彼女を支持しました。彼はジャンヌと親しい関係を築き、王族に近い立場の有力貴族として彼女を支えることになります。
ブリタニカ百科事典でも、アランソン公はジャンヌに好意的だった人物として紹介されています。

オルレアン解放戦で活躍
1429年のオルレアン包囲戦では、ジャンヌ、デュノワ、ラ・イルらと共に戦いました。オルレアン解放後もロワール遠征に参加し
- ジャルジョーの戦い
- モン=シュル=ロワールの戦い
- ボージャンシーの戦い
などで指揮を執っています。 ジャンヌが象徴的存在なら、アランソン公は実際に軍を率いる貴族指揮官の一人でした。
ジャンヌとの深い信頼関係
アランソン公は後年の証言で、ジャンヌを非常に高く評価しています。
ジャンヌも彼に対して親しみを持っていたと伝えられています。二人はランスへの進軍にも参加し、シャルル7世の戴冠実現に貢献しました。そのためアランソン公は、ジャンヌの戦友の中でも特に重要な人物とされています。ジャンヌ軍団のスポンサー兼主力武将みたいな存在

晩年は波乱続き
ところが戦争が終わりに向かうにつれて、アランソン公は王権との関係を悪化させます。1440年には王太子(後のルイ11世)らが関わった反乱「プラグリーの乱」に参加しました。 その後もイングランドとの不適切な接触を疑われ、反逆罪で裁かれることになります。最終的には領地を没収され、1476年に獄中で生涯を終えました。
まとめ
アランソン公は百年戦争後期を代表するフランス貴族の一人でした。
- 幼くして公爵となる
- イングランド軍の捕虜となる
- ジャンヌ・ダルクを支持する
- オルレアン解放やロワール遠征で活躍する
- 晩年は反乱や失脚により獄死する
という波乱万丈の人生を送っています。ジャンヌの物語ではラ・イルやデュノワに注目が集まりがちですが、アランソン公もまた彼女を支えた重要な戦友でした。もしジャンヌ軍団を三国志蜀漢の「五虎将」に例えるなら、アランソン公は間違いなくその一角に入る人物と言えるでしょう。
参考資料・出典
- フランス語Wikipedia「Jean II d’Alençon」
- 英語Wikipedia「John II, Duke of Alençon」
- Britannica「Jean, duc d’Alençon」

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