はじめに
1773年12月16日、ボストン港で大量の茶が海へ投げ捨てられました。この事件は後に「ボストン茶会事件」と呼ばれるようになります。
名前だけ聞くと茶器事件で暴力沙汰でもあったのかと勘違いしてしまいそうですがもっと壮大な事件です。
茶会。なんだか上品なティータイムのようにも聞こえます。しかし実際に起きたのは、東インド会社の茶を積んだ船に人々が乗り込み、茶箱を壊して海へ投げ捨てるという政治的抗議行動でした。しかも捨てられた茶は約90,000ポンド。現在の重さに直すと約40.8トンです。
紅茶好きが見たら卒倒しそうな量ですね。
- 1773年茶法
- 1773年10月16日のフィラデルフィア決議
- 1773年12月18日のジョン・アンドリュース書簡
今回はこれらの資料をもとに事件の前に何が問題視され、事件直後に目撃者が何を書いたのかを見ていきます。
茶法とは何か?
ボストン茶会事件の背景にあるのが1773年の茶法です。
茶法の本文を見ると、東インド会社が保管していた茶を、イギリス国内で販売せずに、イギリス領アメリカ植民地へ輸出できるようにする内容が読み取れます。つまり茶法は単に「茶に新しい税をかける法律」ではありません。
むしろ重要なのは、東インド会社が植民地へ茶を送りやすくなったことです。ここは誤解しやすい点かもしれません。ボストン茶会事件は「茶法で急に新しい茶税が作られたから起きた」と説明されることがあります。しかし今回確認した茶法本文から安全に言えるのは、東インド会社に茶の輸出を認める制度が整えられたということです。
問題は、それが植民地側からどう見えたかでした。植民地側からすれば、これは東インド会社への優遇であり、イギリス議会が植民地に対する課税権を押し通そうとしているように見えたのです。
安い紅茶が来るならいいじゃないか。「飲み放題だ」。現代人ならそう思うかもしれません。しかし当時の植民地人にとって、紅茶は単なる飲み物ではありませんでした。そこには「同意なしに税を取られるのか」という政治問題が絡んでいました。ティーカップの中に政治が沈んでいたわけですわ。
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フィラデルフィア決議が示す怒り
1773年10月16日のフィラデルフィア決議は、植民地側の考えをかなりはっきり示しています。この決議ではまず「自分の財産をどう処分するかは自由人の固有の権利である」と述べています。
そして本人たちの同意なしに財産を取ることはできない、と主張しました。ここで問題にされているのが、議会によるアメリカへの課税です。決議ではアメリカに上陸した茶に課される関税は、アメリカ人への税であり同意なしに寄付金を課すことだと位置づけられています。
つまり問題は「茶が高いか安いか」ではありません。「なぜ自分たちが代表を送っていない議会に、財産を取られるのか」ここが核心でした。
決議はさらに、東インド会社がアメリカへ茶を送ることを「アメリカの自由に対する攻撃」と見ています。かなり強い言葉です。また、東インド会社の茶を荷降ろししたり、受け取ったり、販売したりする者は「自国に対する敵」である、という趣旨も含まれています。
つまり、茶を売るだけで裏切り者扱いになりかねない空気があったわけです。紅茶の販売員にとっては、たまったものではありません。しかし、それほど茶の問題は政治化していました。
事件当日、ボストンで何が起きたのか?
1773年12月16日、ボストンでは大規模な集会が開かれていました。
ジョン・アンドリュースは、1773年12月18日に義兄ウィリアム・バレルへ宛てた手紙の中でこの日の出来事を記しています。アンドリュースによれば、オールドサウス・ミーティングハウスには5,000人から6,000人ほどが集まったとされます。この人数は彼の見積もりです。
その後、彼はグリフィンズ・ワーフへ向かい、茶の破壊を目撃しました。アンドリュースの手紙では、夜9時前には3隻の船に積まれていた茶箱が壊され、船外へ投げ落とされたと記されています。
ここから事件がかなり組織的かつ短時間で行われたことがうかがえます。ただし、アンドリュースが「誰が計画したのか」を完全に知っていたとは限りません。
捨てられた茶はどれくらいだったのか?
今回の資料ではMHSの解説に「約90,000ポンド」という量が出ています。これを現在の重さに直すと、約40,823kgです。さらに紅茶1杯あたり茶葉2gで計算すると約2,041万杯分になります(私は計算が苦手なのでAIに計算させました。)。
もちろん、これは現代的な換算です。当時の人々がこのように計算したわけではありません。しかし読者に規模を伝えるにはかなり分かりやすい数字だと思いました。
| 項目 | 数値 | 注記 |
|---|---|---|
| 破壊された茶の重量 | 約90,000ポンド | MHS解説に基づく |
| kg換算 | 約40,823kg | 1ポンド=453.59237gで計算 |
| 紅茶1杯2g換算 | 約20,411,656杯 | 現代的な目安 |
| 茶箱数 | 340箱、または資料により別数 | MHSでは340箱、アンドリュース書簡の追伸では400箱とされる |
| 被害総額 | 不明 | なし |
ここで大事なのは箱数に揺れがあることです。
MHSの展示解説では340箱とされます。一方、アンドリュースは追伸で400箱破壊されたと報告したとされています。資料により箱数表記には差があるようです。
「インディアン」の変装は何を意味するのか?
アンドリュース書簡では、茶を破壊した人々が「インディアン」のような変装をしていたことが語られています。彼は、それがナラガンセット族の者たちではないかと推測したようです。
しかし、ここは断定してはいけません。アンドリュースがそう見た、あるいはそう推測した、というだけです。「アンドリュースは、変装した人々を先住民のように見た」といったところです。
後世の解釈としては、身元を隠すため、またはイギリス人ではなくアメリカ側に立つ象徴的行為だった、などの見方があるようでっす。

茶を盗もうとした男への処置
アンドリュース書簡で面白いのが、コンナー船長という人物の話です。彼は、破壊される茶を自分のコートの裏地に隠そうとしたとされます。しかし、それが見つかりかなり乱暴に扱われたようです。
ここから見えるのは、この茶の破壊が単なる略奪ではなかったという点です。抗議者たちは茶を私物化することを許さなかった。つまり、目的は茶を盗むことではなく、茶を破壊することでした。もちろんこれは違法な破壊行為です。
しかし、少なくともアンドリュース書簡からは茶を個人的に盗む行為が非難された様子が読み取れます。このあたりが、ボストン茶会事件の複雑なところです。ただの暴動。ただの正義の抗議。調べていくうちにどちらか一方で片づけるには、少し難しいのではないかと感じました。
第4の茶船ウィリアム号
アンドリュースは追伸で、第4の茶船ウィリアム号についても触れています。この船はケープコッドで難破したとされます。つまりボストンに到着していた茶船は3隻でしたが、茶を積んだ船はそれだけではありませんでした。
この点を入れると事件の背景が少し立体的になります。ボストン港で破壊されたのは、ダートマス号・エレノア号・ビーバー号に積まれていた茶でした。一方で、ウィリアム号は難破し同じ夜の破壊対象にはなりませんでした。
事件は一夜の派手な行動として有名ですが、その背後には植民地各地へ向かう茶の輸送網があったのです。
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事実・推測・未確認情報の整理
| 区分 | 内容 |
| 断定できること | 1773年茶法は東インド会社が茶を植民地へ輸出しやすくする内容を含んでいた |
| 断定できること | フィラデルフィア決議は、同意なき課税と東インド会社茶の受け入れに強く反対していた |
| 断定できること | ジョン・アンドリュースは1773年12月18日の手紙で、茶の破壊を目撃したと記している |
| 断定できること | ボストンでは3隻の船の茶が破壊された |
| 推測・注意 | 茶を破壊した人々の正体や組織の全体像は、この3資料だけでは断定しない |
| 推測・注意 | 先住民風の変装の意味は、この3資料だけでは断定しない |
| 未確認 | 被害総額は今回の3資料だけでは確認できない |
| 未確認 | 破壊された茶箱数は、340箱と400箱の表記差があるため注意が必要 |
まとめ
ボストン茶会事件は、単なる「紅茶を海に捨てた事件」ではありません。1773年茶法によって、東インド会社の茶が植民地へ輸出されやすくなりました。フィラデルフィア決議は、それを同意なき課税と東インド会社優遇の問題として受け止め、茶の荷降ろしや販売に関わる者を厳しく非難しました。
そして1773年12月16日、ボストンで抗議者たちは3隻の船に乗り込み、茶箱を壊して海へ投げ捨てました。ジョン・アンドリュースの手紙は、その直後の目撃証言として非常に貴重です。
しかし茶箱数には資料差があります。変装の意味も断定できません。しかし、それでも十分に言えることがあります。
ボストン茶会事件とは、紅茶の値段をめぐる小さな騒動ではなく、財産・課税・代表権・商業独占が絡み合った政治的事件だったのです。ティーカップ一杯の向こう側には、帝国と植民地の対立が沈んでいました。
そして読めば読むほどよく分からなくなってきたので私は理解するのを諦めました(笑)

参考文献
- Massachusetts Historical Society の Boston Tea Party 資料
- ジョン・アンドリューズの1773年12月18日付書簡
- Tea Act 1773 本文
- Philadelphia Resolutions, 1773
