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【近代】2000万倍分の紅茶を海にぶちまけた男たち

目次

Boston Tea Partyとは何だったのか

1773年12月16日、イギリス領アメリカ植民地のボストン港で、とんでもない事件が起きた。なんと植民地の住民たちが船に乗り込み、積み荷だった大量の紅茶を海へ投げ捨てたのです。「いや待て、紅茶を捨てるだけで歴史に残るのか?」――残る。めちゃくちゃ残った。しかもこの事件は後のアメリカ独立戦争へつながる超重要事件となりました。

今日はこの「ボストン茶会事件」がなぜ起き、どれほどヤバかったのかを見ていきましょう。


そもそも何があったのか

18世紀のイギリスは、フランスとの戦争などで財政がかなり苦しかった。そこで本国イギリスは、アメリカ植民地に様々な税金をかけ始めます。その中でも植民地側を激怒させたのが「茶税」でした。当時のアメリカ植民地では紅茶が大人気。イギリスはそこに課税しました。しかも問題は「税金そのもの」だけではありません。植民地側にはイギリス議会で発言権が無かったのです。つまり、「お前らに税金かけるけど、政治参加はできないから(へへへh)」という状態でした。

これに植民地人たちはブチギレます。有名なスローガンがあります。

“No taxation without representation.”
(代表なくして課税なし)

つまり、「政治に参加させないくせに税金だけ取るな!」という意味です。当たり前の感覚で現代でも絶対揉めるやつですね。


東インド会社がさらに火を注ぐ

1773年、イギリス議会は「茶法(Tea Act)」を制定します。これによってイギリスのEast India Companyは、植民地で安く茶を販売できるようになりました。一見すると、「安い紅茶飲めるなら良くない?」と思うかもしれませんが。しかし植民地側はそう考えなかった。なぜならこれは、

  • イギリス本国による支配強化
  • 東インド会社の独占
  • 「税を認めろ」という圧力

でもあったからだそうです。つまり紅茶は単なる飲み物ではなく、「支配の象徴」になっていたのです。「ティータイムが政治問題になる世界」現代ならたばこあたりがやりすぎたらこうなりそうです。


そして事件当日

1773年12月16日。ボストン港には紅茶を積んだ3隻の船が停泊していました。

  • ダートマス号
  • エレノア号
  • ビーバー号

そこへ現れたのが、「自由の息子たち(Sons of Liberty)」()と呼ばれる人々でした。彼らは先住民風の変装をして船へ乗り込む。そして木箱を叩き割り、中の茶葉を次々と海へ投げ捨てていった。事件は約3時間続いたという。三時間も投げて捨ててたんか(笑)

しかも驚くべきは、その統率ぶりである。酔っ払って暴れるでもなく、他の積み荷を盗むでもなく、狙った紅茶だけを破壊した。プロの紅茶アンチか?


どれくらいの紅茶が捨てられたのか

ここが最大の見どころである。当時海に捨てられた紅茶は、資料によって340箱または342箱。重量は約92,000ポンド(約41.7トン)だった。  41.7トン。

全くピンと来ない。

なので紅茶1杯を茶葉2グラムで計算してみよう。約41,700kg ÷ 2g= 約2085万杯分。

つまり2000万杯以上の紅茶が海へ消えた計算になる。午後のティータイム何年分だよ。仮に1日3杯飲む人でも、約19000年分である。縄文時代から飲んでもまだおつりがくる計算です。


被害額もヤバい

当時の被害総額は約9,659ポンドだった。  現在価値では100万〜170万ドル以上とも言われる。  つまり単なるイタズラではなく、超大規模な経済破壊行為だった。イギリス政府から見れば、「港で数十トンの高級輸入茶を全部海に捨てられた」のである。そりゃキレる。先に喧嘩売ってるのがイギリス政府ではありますが。


イギリス、本気で怒る

当然ながらイギリス政府は激怒した。そして1774年、「耐え難き諸法(Intolerable Acts)」を制定する。内容はかなり厳しい。

  • ボストン港閉鎖
  • マサチューセッツ自治制限
  • イギリス軍強化

など、植民地を締め付ける政策だった。しかしこれが逆効果になる。植民地側は逆に団結し、「もうイギリスとなんかやってられねえ!」となっていった。そして1775年、ついにアメリカ独立戦争が始まる。つまりボストン茶会事件は、アメリカ独立への導火線だったのである。「紅茶が戦争の引き金になるとか誰が予想したか


実は“綺麗な破壊活動”だった?

面白い話として、この時の参加者たちはかなり規律正しかったと言われる。茶以外の積み荷には手を出さず、船自体も壊していない。さらに壊した南京錠を後日弁償したという逸話まである。犯罪なのに妙に礼儀正しい、、つまり彼らは略奪ではなく、政治的抗議として行動していたのである。


なぜ「先住民の格好」をしたのか

参加者たちがモホーク族風の格好をした理由には諸説ある。

  • 身元隠し
  • イギリスではなく“新しいアメリカ人”を象徴
  • 反権威の演出

などと言われている。ただ実際には、かなり雑な変装だったとも言われる。「今で言う変装用パーティーグッズ説」


まとめ

Boston Tea Partyは、単なる「紅茶を捨てた事件」ではない。それは、

  • 課税への反発
  • 政治的不平等
  • 経済支配への怒り

が爆発した象徴的事件だった。そして海へ消えた紅茶は約41.7トン。推定2000万杯以上。歴史上もっとも高価で、もっともスケールのでかい“ティータイム拒否”だったのかもしれない、紅茶党ブチギレ不可避事件。あと歴史をみると毎回イギリスは利己的に動きすぎなんですよ。火種の素をたどるとイギリスみたいな。


参考・出典

  • Wikipedia「Boston Tea Party」
  • National Archives UK「Boston Tea Party Source 6」
  • History.com「Boston Tea Party

 

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