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【中世後期】ジャンヌ・ダルクの生涯~奇跡の聖女とフランス救国の伝説~

こんにちは国を救った少女が火あぶりに処された……いや、そんな残酷な話ある!?と思いますよね。でも本当にそれがおきたのがジャンヌ・ダルクの物語です。

農民の娘から一気に国家英雄へ。しかも活動期間はわずか数年。さらに19歳で火刑。人生の密度どうなってるんだレベルの人物です。今回はそんな「オルレアンの乙女」の人生をわかりやすく紹介していきます!


目次

静かな村に響いた「神の声」

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1412年頃、フランス東部の小さな村ドンレミ。ドレミじゃないよ。ジャンヌはごく普通の農民の娘として生まれました。羊の世話をして、教会に通って、家の仕事を手伝う――完全に「どこにでもいる田舎娘」です。

しかし13歳のある日。突然、天使の声が聞こえます。「フランスを救え。皇太子を王にせよ」いや待って。急にミッション重すぎる。普通なら「疲れてるのかな」で終わります。子供のいたずらかもしれませんし。ですがジャンヌは違いました。彼女はこの声を本気で信じたのです。ちなみに当時のフランスは百年戦争の真っ最中。国はボロボロ。イングランド軍に押されまくり。王太子シャルルも「本当に王になれるの?」状態でした。

そんな絶望の時代に、突然現れたのが“神の声を聞く少女”。中世フランス民衆からしたら、「え、これ救世主イベント始まった?」となっても不思議ではありません。


男装して戦場へ!? 行動力がバグっている少女

16歳になったジャンヌは決意します。「よし、王太子に会いに行こう」いや、フットワーク軽っ。しかも男装して馬に乗り、危険地帯を突破してシノン城へ向かいます。現代で言うなら、「高校生が突然、防衛大臣に会いに行く」くらい無茶です。当然、周囲は大半が冷笑。

「田舎娘が何を言ってるんだ」
「神の声? 大丈夫?」

そりゃそう。しかしジャンヌはシノン城で奇跡を起こします。大勢の貴族の中に紛れていた王太子シャルルを即座に見抜いたのです。しかも彼女は、シャルルしか知らない秘密まで言い当てたとか。シャルル側からすると、

「え、怖……でも本物かもしれん……」

という状態。その後、教会によるガチガチの審査を受けます。中世ヨーロッパで「神の声が聞こえる」は、
聖女になるか異端(アホ)になるかの二択です。かなり危険。ですがジャンヌは審査を突破。ついに白い甲冑をまとい、軍を率いることになります。農民の娘が国家軍の象徴になるとか、展開が強すぎる。


オルレアン解放! フランス軍「この子、本当に神では?」

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1429年5月。イングランド軍に包囲され、陥落寸前だったオルレアン。ここでジャンヌが登場します。

すると――フランス軍、急に勝ち始めます。いや、そんなことある!?もちろん実際には将軍たちの力も大きいのですが、ジャンヌの存在が兵士たちの士気を爆上げしたのは事実です。「神が我々についている!」中世の戦争では、この精神的効果がとんでもなく大きい。ジャンヌ自身も前線に立ち、負傷しながら旗を掲げ続けました。

しかも彼女、剣でバッサバッサ敵を倒すタイプというより、「絶対に諦めない精神リーダー」タイプなんですよね。現代で言えば、超カリスマ系リーダー。オルレアン解放後、フランス軍は勢いに乗ります。そして同年7月、ついにランス大聖堂でシャルル7世の戴冠式が実現。ジャンヌ、ミッション達成。13歳で聞いた“神の声”を、本当に実現してしまいました。いや、実行力どうなってるの。

ジャンヌ・ダルクの軍事行動

オルレアン包囲戦(1429年)

ジャンヌ・ダルクが歴史の表舞台に登場した最大の理由が先ほど申し上げた、オルレアン包囲戦です。当時のフランスは百年戦争で劣勢に立たされており、イングランド軍はオルレアンを包囲していました。1429年4月、ジャンヌは補給部隊とともにオルレアンへ入城します。「17歳の少女が戦場へ現れた」という事実だけでも兵士たちに大きな衝撃を与えました。ジャンヌは自ら軍旗を掲げて前線へ進み、フランス軍の攻勢を後押しします。特に5月7日のトゥーレル要塞攻撃では負傷しながらも戦場へ戻ったと伝えられています。翌5月8日、イングランド軍は包囲を解除しました。たった数日で戦況を変えてしまったのですか?、、、まさにその通りです。この勝利によってジャンヌはフランスの希望の象徴となりました。


ロワール方面作戦

オルレアン解放後もジャンヌは軍事行動を続けました。フランス軍は

  • ジャルジョー
  • モン=シュル=ロワール
  • ボージャンシー

などを次々と攻略します。さらに1429年6月18日のパテーの戦いではフランス軍が大勝利を収めました。この戦いはしばしば「フランス版アジャンクールの逆転劇」とも呼ばれます。長弓兵を中心としたイングランド軍が崩壊し、多くの指揮官が捕虜となりました。


シャルル7世の戴冠

ジャンヌは軍事的勝利だけでなく政治的目標も重視していました。それが王太子シャルルの正式な戴冠です。ジャンヌは軍を率いてランスへ向かい、1429年7月17日にシャルル7世の戴冠式が行われました。ジャンヌ自身も式に立ち会っています。彼女にとっては、「神が命じた使命の達成」だったと考えられています。


パリ攻撃と失敗

しかし、その後の軍事行動は必ずしも成功しませんでした。1429年9月のパリ攻撃では負傷し、攻略に失敗します。以後、戦局は停滞し始めました。


捕虜となる

1430年5月、コンピエーニュ防衛戦でジャンヌはブルゴーニュ派(フランスの国の派閥ですが日本でいう大大名のようなもの。当時はシャルル7世と険悪だった)に捕らえられます。その後イングランド側へ引き渡され、裁判へと進むことになります。

捕虜になった後

ジャンヌはブルゴーニュ軍の有力貴族ジャン2世・ド・リュクサンブールの管理下に置かれました。その後

  • ボーリュー城
  • ボールヴォワール城

などを転々とさせられる。ジャンヌは脱走を試み、城壁から飛び降りて重傷を負ったこともありました


栄光から一転…裏切りと異端審問

1430年、ジャンヌはコンピエーニュの戦いで捕虜になります。しかもフランス側ではなく、ブルゴーニュ派に捕まり、最終的にイングランド側へ売られてしまいました。英雄の扱いとしてはあまりにも悲惨。そして始まる異端審問。内容をざっくり言うと

「お前、本当に神の声聞いたの?」
「男装してるの罪じゃない?」
「魔女なんじゃない?」

……などなど。今見るとかなり無理筋です。ただ当時のイングランド側からすると、ジャンヌは危険すぎる存在でした。なにせ、「神に選ばれた少女」としてフランス国民の希望になっていたからです。だからこそ、単なる処刑ではなく、「彼女は偽物だった」と証明する必要がありました。政治と宗教がガッチリ絡んだ裁判だったわけですね。

裁判記録から見るジャンヌ

ジャンヌ研究で特に重要なのが1431年の裁判記録です。本人の発言が大量に残っているため、中世史料としては極めて貴重な存在となっています。


「神の恩寵のうちにあると思うか」

裁判官たちはジャンヌを追い詰めようとして、「あなたは神の恩寵のうちにあると思うか」と質問しました。当時の神学では非常に危険な質問でした。「はい」と答えれば傲慢「いいえ」と答えれば神の使命を否定したことになります。

これに対しジャンヌは、「もし私がそうでないなら、神がそうしてくださいますように。もしそうであるなら、神がそう保ってくださいますように」と答えました。「裁判官たちも頭を抱えたのでは?」実際、非常に巧みな返答として知られています。ジャンヌの頭の良さが窺えます。


声についての証言

裁判では何度も「本当に神の声だったのか」と問われています。ジャンヌは

  • 聖ミカエル
  • 聖カタリナ
  • 聖マルガリタ

の声を聞いたと証言しました。また、その声が自分を導いたとも語っています。


男装問題

裁判で大きく争点となったのが男装でした。ジャンヌは軍事行動中も男性用の服を着用していました。裁判ではこれが宗教的問題として追及されます。しかしジャンヌは必要性を主張し続けました。

70の罪状

最終的に裁判所は約70項目の罪状を作成しました。内容を要約すると

  • 異端
  • 神への冒涜
  • 虚偽の啓示
  • 悪魔との関係
  • 教会への不服従

などでした。 


最後まで使命を信じた

裁判記録を読むと、ジャンヌは一貫して「神から命じられた使命を果たした」という立場を崩していません。そのため現代の研究者からは、単なる伝説上の聖女ではなく、強い信念と高い知性を持つ人物として評価されているようです。


19歳、火刑台へ——それでも信仰を捨てなかった

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1431年5月30日。ジャンヌ・ダルク、19歳。ルーアンで火刑に処されます。まだ10代です。現代感覚だと、本当に若すぎて言葉を失います。最期の瞬間、彼女はこう叫んだと言われています。「イエス! マリア!」炎の中でも信仰を捨てなかった少女。処刑を見ていた人々の中には涙を流す者も多く、処刑後に後悔したイングランド兵までいたとも伝えられています。ここ、本当にジャンヌ物語最大の胸痛ポイント。国を救った英雄なのに、最後は味方に見捨てられ、異端者として焼かれる。あまりにも悲劇的です。

私の考えでは彼女の死は決まっていたと思われます。異端審問という体裁ではありましたがイングランドにとって彼女の処刑は軍事的にも戴冠したシャルル7世に汚名を着せる為にも必要だった側面があるように思えます。つまり政治色の強い裁判だったと考えることができるのです。


死後に逆転勝利!? ついに聖人へ

ですが、ジャンヌの物語はここで終わりません。死から25年後。再審が行われ、彼女は無実と認定されます。つまり、「やっぱり裁判おかしかったわ」と公式に認められたのです。さらに19世紀になると、フランスの国民的英雄として大人気に。そして1920年、ついにカトリック教会から聖人認定。農民の少女が、数百年後には“聖女”として世界中に知られる存在になりました。人生どころか、死後まで伝説級です。


ジャンヌ・ダルクが今も愛される理由

ジャンヌ・ダルクのすごさは、単なる「強い英雄」ではないところです。彼女は王族でもなく、貴族でもなく、軍人でもない。ただの農民の少女でした。それでも、「自分には使命がある」と信じ、恐れず行動した。だからこそ、多くの人が彼女に心を動かされるのだと思います。身分も、性別も、年齢も超えて歴史を変えた少女。

まさに“奇跡の存在”ですね。


参考資料・出典

  • Wikipedia「ジャンヌダルク」
  • 英語版Wikipedia「Joan of arc」
  • Britannica「Joan of arc」
  • 国立国会図書館
  • オルレヤンの乙女

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