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【秦朝】徐福とは何者だったのか?始皇帝に仕えた謎の方士と日本渡来伝説

目次

徐福とは

徐福(じょふく、中国名:徐巿・徐福)は、中国を初めて統一した秦の始皇帝に仕えた方士である。方士とは、不老不死の術や神仙思想を研究していた人物のことで、現代で言えば占星術師や錬金術師に近い存在でありました。徐福が歴史上に登場するのは紀元前3世紀末、秦王朝の時代です。始皇帝は不老不死を強く望んでおり、徐福はその願いを叶えるため東方の海へ派遣されました。

当時としては不老不死はあるかもしれない状態だからいいが今の価値観で言えば皇帝の願いが重すぎる……。


徐福の東方航海

史記によれば、徐福は始皇帝に対して、「海の彼方に神仙が住んでおり、不老不死の薬が存在する」と進言した。さらに、「童男童女と技術者を連れて行けば薬を得られるでしょう」と述べたと言います。始皇帝はこれを信じ

  • 童男童女三千人
  • 多数の技術者
  • 莫大な資金

を与えました。始皇帝は徐福を信じすぎだと思うがワラにもすがる思いだったのだろうか。


巨大な鮫に邪魔された?

その後、徐福は再び始皇帝へ報告を行った。史記によれば、「海神には会えたが巨大な鮫が邪魔をして薬を持ち帰れない」と説明したと言います。

そこで始皇帝は弓の名手を連れて東方へ巡幸し、巨大魚を射たと記録されています。現代人からすると不思議な話だが、当時は神仙思想が広く信じられていた時代でありました。鮫のせいにする発想が面白い。まあまあありえそうです。


徐福はどこへ行ったのか

徐福最大の謎はその後である。史記によれば、徐巿得平原廣澤,止王不來すなわち「徐福は広大で豊かな土地を得て王となり、帰ってこなかった」と記されています。

これは徐福研究において極めて重要な記述です。しかし史記には

  • 日本
  • 倭国
  • 九州

などの地名は一切登場しない。つまり、「東方へ渡ったまま帰らなかった」ことは史料で確認できるが、「日本へ来た」ことは史料では確認できないのである。肝心なところが書いていないのです


日本渡来伝説

一方、日本には徐福伝説が数多く残されている。和歌山県、新宮市、佐賀県、鹿児島県など各地で、

  • 徐福上陸地
  • 徐福の墓
  • 徐福神社

などが伝えられている。日本語Wikipediaでも、こうした伝承は非常に詳しく紹介されている。特に

  • 稲作
  • 養蚕
  • 医術
  • 製鉄

などを徐福が日本へ伝えたという説が存在します「。ただしこれらを裏付ける直接的な史料は確認されていません。そのため現在の歴史学では「後世に形成された伝説」として扱われることが多いです。


英語Wikipediaと日本語Wikipediaの違い

英語Wikipediaでは、徐福は主に秦王朝史の人物として紹介されています。始皇帝との関係や神仙思想が中心であり日本渡来伝説は補足的な扱いである。一方、日本語Wikipediaでは日本各地に残る徐福伝説が詳しく解説されています。要は

  • 英語版=歴史上の人物
  • 日本語版=歴史上の人物+伝説

という違いが見られます。


ブリタニカ百科事典の見解

ブリタニカ百科事典でも徐福は始皇帝に仕えた方士として紹介されています。そして東方への航海が後世の日本渡来伝説の起源になったことに触れています。ただし、実際に日本へ到達したかどうかについては断定していません。現代の学術的立場としては「徐福は実在した」しかし「日本へ来たかどうかは不明」という評価が一般的です。


まとめ

徐福は秦の始皇帝に仕えた実在の方士であり、不老不死の薬を求めて東方へ派遣された人物です。史記によれば徐福は広大な土地を得て王となり、そのまま帰国しませんでした。その行き先は現在も不明です。しかしこのわずかな記録から日本各地に数多くの徐福伝説が生まれた。歴史上の人物でありながら、同時に伝説の主人公でもあります。それが徐福なのである。もしかすると史上最大規模の移住計画だったのかもしれませんね。

参考資料・出典

  • 司馬遷『史記』(秦始皇本紀・淮南衡山列伝)
  • Encyclopaedia Britannica「Xu Fu」
  • 英語Wikipedia「Xu Fu」
  • 日本語Wikipedia「徐福」
  • 『史記 第6(漢文叢書 第12)』
  • 国立国会図書館デジタルコレクション
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