「三国志で一番プライド高い武将って誰?」そう聞かれたら、かなりの人が名前を挙げるであろう人物――それが関羽です。赤い顔に長い髭、青龍偃月刀を振り回し、敵をバッサバッサ斬っていく蜀の英雄。漫画、ゲーム、小説、現実でも色々神格化されすぎなのでディスり目線で解説します。早速この人、強さだけでなく“自尊心”もトップクラスでした。むしろプライドが高すぎて周囲が困るレベルです。今回はそんな「誇りの塊」みたいな男、関羽をツッコミ込みで見ていきましょう。
関羽とはどんな人物?

関羽は後漢末期から三国時代に活躍した武将です。劉備・張飛と義兄弟の契りを結び、蜀漢を支えた最古参の一人でした。特に有名なのが武勇。
- 華雄を瞬殺
- 顔良を一騎討ちで撃破
- 曹操軍でも別格扱い
など、「そりゃ自信つくわ」という戦績を残しています。しかも後世では神格化され、中国では“関帝”として信仰されるレベル。「もはや武将というより神様である」ですが当然、本人は現役時代そんな未来を知りません。なのに態度だけは既に神様クラスでした。
孫権の縁談を全力拒否

関羽のプライドの高さで特に有名なのが、呉との縁談事件です。呉の君主である孫権は、関羽の娘を自分の息子の嫁にしたいと考えました。つまり同盟強化のための政略結婚ですね。普通なら、「おっ、同盟強化ありがてぇ」となりそうなものです。しかし関羽は激怒。「虎の娘を犬の子に嫁がせられるか!」と拒絶したとされています。「外交の常識ぶっとんでる!」外交問題になるレベルの暴言です。しかも相手は同盟国のトップ。現代で言えば取引先の社長に向かって、
「お前んとこの息子にはうちの娘はもったいない」
と言うようなものです。そりゃ呉もキレます。結果として呉との関係は悪化し、後の悲劇にも繋がっていきました。
馬超加入時の反応がめんどくさい
蜀に馬超が加入した時も、関羽のプライドが炸裂します。馬超は超名門出身で武勇も超一流。当然、蜀でも大きな話題になりました。すると関羽は諸葛亮に手紙を送ります。
「で、その馬超って俺と比べてどうなの?」
「急にランキング気にし始めたぞこの人」
しかもかなり真面目に聞いています。諸葛亮も扱いを間違えると面倒だと分かっていたので、
「馬超も優秀ですが、あなたには及びません」
と超気を遣った返答をしました。
「保護者かな?」
関羽、完全に“褒め待ち”状態です。
黄忠にブチギレ

さらに関羽は黄忠にもライバル意識を燃やします。劉備が黄忠を高く評価し、関羽と同格レベルで扱おうとした時、関羽は不満爆発。
「なんであんな老兵と同格なんだ!」
と怒ったと言われています。
「黄忠めちゃくちゃ強いんだけど!?」
実際、黄忠は定軍山で夏侯淵を討ち取るほどの名将。普通にトップクラスです。ですが関羽からすると、
「俺は特別」
という意識がかなり強かったのでしょう。
でも実力が本物だから困る

ここまで読むと、「ただの面倒くさい人じゃん」と思うかもしれません。しかし厄介なのが、関羽は本当に強いことです。樊城の戦いでは曹操軍を追い詰め、水攻めで于禁軍を壊滅。あの曹操ですら、
「遷都した方がよくない?」
と考えるほど追い込まれました。
「実績が強すぎて誰も何も言えない」
会社で例えるなら、
- 態度は超デカい
- 協調性は低め
- でも営業成績が全国1位
みたいな存在です。上司も扱いに困ります。
関羽の活躍
だが、そもそも彼は「それだけの実績」を積み重ねてしまった男でもありました。若い頃から劉備に付き従い、各地を転戦。曹操軍との戦いでは、あの顔良を討ち取ったことで一気に名を上げます。しかもこの時、関羽は曹操の客将という微妙な立場でした。おい待て待て待て! 居候の立場で敵将の首を持って帰るの、戦場MVPすぎるだろォ!!って勢いです。さらに荊州を任された後は、長年にわたって蜀の北方防衛を担当しました。魏の名将たちと睨み合いながら前線を維持し続けるという、胃が痛くなりそうな役目です。
そして有名な樊城の戦い。関羽は于禁を降伏させ、龐徳を討ち取り、一時は曹操を震え上がらせた。『三国志』蜀書でも、その威勢は華北に響き渡ったと記されている。いや強い強すぎるお!! なんで地方守備隊長みたいな立場から曹操本体をビビらせてるんだァ!!という感じでしょうか。実際、曹操はあまりの圧力に遷都まで検討したとも言われます。もちろん最終的には呉との関係悪化や慢心もあり、関羽は敗北します。しかし逆に言えば、あの関羽を止めるには
・魏
・呉
・内部離反
・補給問題
これだけ重ならなければならなかった。そう考えると、関羽の「異様な自信」は単なる性格の悪さではなく、「俺が蜀を支えている」という自負の裏返しだったのかもしれません。
関羽最大の弱点
ただ、そんな関羽にも弱点がありました。それが「他人を見下しやすい性格」です。部下への対応も厳しく、呉への態度も高圧的。結果として周囲との関係が悪化していきます。最終的には呉の奇襲を受け、麦城で孤立。あれほど強かった関羽も敗死してしまいました。つまり関羽は、
「武力は最強クラス。でも性格が尖りすぎていた」
人物だったのです。
関羽(関羽)から学べる5つの成功法則
1. 信頼は最大の資産
これらをふまえて関羽が数千年経った今でも有名なのは、武勇だけでなく「義」を重んじる人物として語られたからです。例えば
- 劉備軍が敗れた後も恩義を忘れなかった
- 約束を守った
- 裏切らなかった
こうした行動が評価されました。現代風に言えば実力だけでなく信用を積み上げろということです。仕事でも趣味でも、信用は後から効いてきます。
2. 専門分野を作る
関羽は何でもできる人物ではありませんでした。政治家としては諸葛亮ほどではなく、戦略家としても曹操ほどではないのです。そんな才能があったら劉備が徐州や荊州を手に入れた際に蜀のような国を最初からとっくに建国していたでしょう。しかし「関羽といえば武勇」という強烈なブランドを持っていました。現代なら、
- 三国志専門
- 戦国時代専門
- 歴史ミステリー専門
のように、自分の得意分野を持つことに近いかもしれません。
3. チャンスが来たら全力で取りに行く
関羽最大の成功の一つが官渡大戦前哨戦での「白馬の戦い」です。袁紹軍筆頭武将と言われた敵将の顔良を討ち取ったことで一気に名声を高めました。何年も準備していても、世間が評価するのは一瞬の結果だったりします。だから普段から準備しておき、機会が来たらチャンスを取りに行くことが大事なんですな。
4. 成功すると慢心しやすい
個人的にはこれが一番大事だと思いますよ。ここからは失敗の教訓です。晩年の関羽は荊州で大きな権限を持っていました。しかし先に紹介しましたが
- 呉を軽視した
- 同盟相手との関係が悪化した
- 周囲との協調を欠いた
とされます。結果として荊州を失い、自身も敗死しました。
5. 一人で勝てる人はいない
関羽は強かったです。でも、
- 曹操
- 孫権
- 呂蒙
など複数勢力の思惑が絡む中では、一人の武勇だけではどうにもならなりませんでした。現代でも、能力より人間関係や協力体制が重要な場面は多いということです。いつの時代でも人とのつながりが大事なのですね。
関羽から学ぶなら一番大事なのは
信用で成功し慢心で失敗した。この一言に尽きるかもしれません。実際、関羽は死後も神格化され、東アジア各地で 関帝 として信仰されました。直にすごいことです武勇だけなら他にも強い武将はいたのに、関羽だけが特別視されたのは「信義の人」というイメージが後世まで残ったからです。歴史上の成功者として見るなら、「実力+信用」がいかに強力かを示す代表例と言えます

まとめ
関羽は間違いなく三国志屈指の英雄です。ですが同時に、
- プライドが高い
- 負けず嫌い
- 他人に厳しい
- 自分は特別と思っている
という、かなりクセの強い人物でもありました。とはいえ、その強烈な自尊心があったからこそ、あれほどの武勇とカリスマを持てたのかもしれません。ただ孫権への暴言だけは本当に危険。「外交はパワーじゃないんだ関羽」そう言いたくなりますね。 関羽は色々持ち上げられすぎなので少し批判目線で書きました。関羽ファンの皆様には申し訳なく。
参考資料・出典
- Wikipedia「関羽」
- コトバンク「関羽」
- 国立国会図書館
- 三国志(陳寿)

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