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【ルネサンス】マーティン・フロビッシャーとは何者だったのか? 北西航路を追った海賊提督

目次

エリザベス・シードッグス

16世紀後半、イングランドがスペインと激しく対立していた時代。その中で活躍した海の男たちが「エリザベス・シードッグス」と呼ばれています。フランシス・ドレークが有名ですが、その仲間の一人として活躍した人物がマーティン・フロビッシャー(Martin Frobisher)です。

北西航路探検家として知られる一方、私掠船船長として海賊行為にも関わり、さらにスペイン無敵艦隊との戦いでも功績を残しました。今回はそんなフロビッシャーの生涯についてわかりやすく解説します。

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マーティン・フロビッシャーとは?

マーティン・フロビッシャーは1535年頃、イングランドのヨークシャーで生まれた航海者です。若い頃から船乗りとして活動していましたが、その経歴はなかなか荒っぽいものでした。

ブリタニカによると、彼はアフリカのギニア沿岸への航海に参加したほか、イングランド王室の私掠免許を得てフランス船を襲撃していたとされています。海賊行為の容疑で何度も逮捕されたものの、正式な裁判にはかけられなかったそうです。 現代ならニュース番組で常連になってそうですね

北西航路を求めた男

16世紀ヨーロッパでは、「北極の方からアジアへ抜けられる近道があるのでは?」という夢のような話が信じられていました。これが有名な「北西航路」です。フロビッシャーもこの航路発見に強い関心を持ち、1576年に探検隊を率いて出航しました。彼は現在のカナダ北東部周辺へ到達し、後に「フロビッシャー湾」と呼ばれる地域を発見します。シードックスなだけにフロビッシャーわん!!、、、?、、、。

しかしここで問題が発生します。探検中に見つかった黒い石を部下たちが「金鉱石では?」と言い始めたのです。フロビッシャーはこれに大興奮。以後の遠征は北西航路探しというより鉱山発掘ツアーになっていきました。

黄金を求めて大暴走

フロビッシャーは1577年、1578年にも同地へ遠征します。特に三回目の遠征では15隻もの艦隊を率い、大量の鉱石をイングランドへ持ち帰りました。ところが数年後。その鉱石は金でも銀でもなく、ほぼ価値のない石だったことが判明します。投資家たちは大損害。フロビッシャーの北西航路計画も事実上崩壊しました。何という悲劇でしょう。 怪しい投資案件みたいになってますしおすし。

エリザベス・シードッグスとして活躍

探検事業に失敗した後も、フロビッシャーは海を離れませんでした。1585年にはフランシス・ドレーク率いる西インド諸島遠征へ副提督として参加します。 この遠征はスペインの植民地や補給拠点を襲撃するものでした。 当時のイングランドはスペインとの対立を深めており、エリザベス1世はこうした私掠船たちを積極的に利用していました。

スペインから見れば海賊。イングランドから見れば愛国者。この辺りはフランシス・ドレークと同じですね。

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アルマダ海戦で大活躍

1588年、スペイン王フェリペ2世はイングランド侵攻を目指し巨大艦隊「アルマダ」を送り込みました。

この戦いでマーティン・フロビッシャーはイングランド艦隊の重要指揮官として参加します。彼は大型軍艦 トライアンフ に乗り一個戦隊を率いて戦いました。フロビッシャーは、フランシス・ドレークやジョン・ホーキンスと並ぶイングランド側の有力な海軍指揮官の一人だったのです。

探検で石ころを金だと思って大失敗した男がここで急に海軍英雄になるの人生の振れ幅がすごいね。このフロビッシャーの活躍がよく分かるのが、Navy Records Society が刊行した一次史料集 『The Defeat of the Spanish Armada』 に収められた戦闘報告です。同書の「出来事の簡単な要約」では、7月25日ワイト島近くのダンノーズ沖で、フロビッシャーが数隻の敵船と激しい戦闘に入ったことが記されています。

この時、海軍卿ハワードはフロビッシャーが苦境に陥ることを恐れ最良の船五隻を率いてスペイン艦隊の提督船の方へ向かいました。そして敵艦隊の中心へ突入するようにして非常に激しい戦闘が始まります。記録では両軍の距離はかなり近く敵がフロビッシャーから離れるまで戦闘が続いたとされています。

つまりフロビッシャーはただ後方から安全に指揮していたわけではありません。スペイン艦隊の中核に近い場所で激しく戦い救援が必要になるほどの危険な戦闘に入っていたのです。完全に前線タイプ。また同じ史料群からは、アルマダ戦がイングランド側の楽勝ではなかったことも分かります。ハワードは8月8日の書状で、スペイン艦隊について「世界は彼らほどの戦力を見たことがない」とまで述べています。つまり、イングランド側の勝者たちも、スペイン艦隊を決して軽く見ていませんでした。

さらにハワードは、食糧と弾薬の不足に悩んでおり、補給がなければ「我々は飢えることになる」とまで書いています。つまり、アルマダ戦は「イングランドが余裕で無敵艦隊をボコボコにした」という単純な話ではありません。スペイン艦隊は巨大で危険な敵でした。イングランド側も食糧・弾薬不足に苦しんでいました。その中でフロビッシャーは前線でスペイン艦隊と激しく戦ったのです。

グラヴリーヌ沖の戦いではイングランド艦隊が火船作戦でスペイン艦隊をカレー沖の泊地から追い出しその後に激しい砲撃戦へ持ち込みました。この戦いでスペイン艦隊は大きく損傷しパルマ公軍との合流にも失敗します。フロビッシャーもこの一連の戦いで功績を挙げ戦後、エリザベス1世からナイトの称号を授けられました。北西航路探検では金を求めて大失敗したフロビッシャーでしたがアルマダ戦では本物の武功を挙げたわけです。金鉱石は外したけど戦場での勘は当てた男。

彼は探検家としてだけでなく、スペイン無敵艦隊を退けたイングランド海軍の指揮官としても記憶されるべき人物でしょう。

晩年

アルマダ海戦後もフロビッシャーは海軍指揮官として活動しました。アゾレス諸島周辺でスペイン財宝船団の捕獲を試みるなど、対スペイン戦争に参加し続けます。

1594年、フランス西部でスペイン軍と戦った際に重傷を負い、その後死亡しました。享年はおよそ59歳前後だったと考えられています。 探検家として北極圏を目指し、私掠船として海賊行為に関わり、最後は戦場で命を落とした生涯でした。

まとめ

マーティン・フロビッシャーは

  • 北西航路を求めた探検家
  • 黄金探しに夢中になった冒険家
  • エリザベス・シードッグスの一員
  • アルマダ海戦で活躍した提督

という非常に波乱万丈な人物でした。フランシス・ドレークほど有名ではありませんが、イングランド海軍の発展やスペイン無敵艦隊撃退に貢献した重要人物の一人です。探検家・海賊・提督を全部やっているので肩書きだけ見るとなんかよくわからん気もしますが、16世紀の海の男(というかエリザベスシードックス)たちはだいたいこんな感じだったんでしょうね。

特にアルマダ戦では、一次史料『The Defeat of the Spanish Armada』に、フロビッシャーがスペイン艦隊との激しい戦闘に入り、ハワードが救援に向かう場面が記録されています。つまり彼は、ただの探検家でも、ただの私掠船乗りでもありません。北西航路を追い黄金に振り回され、そして最後はスペイン無敵艦隊と正面から戦った、かなり濃い海の男だったのです。

参考資料・出典

  • Encyclopaedia Britannica “Sir Martin Frobisher”
  • Navy Records Society, The Defeat of the Spanish Armada, Vol. II, 1894.
  • World History Encyclopedia “Martin Frobisher”
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