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【中世後期】ラ・イルとは何者だったのか? ジャンヌ・ダルクを支えた百年戦争の猛将

 ラ・イルとは何者だったのか? ジャンヌ・ダルクを支えた百年戦争の猛将

目次

はじめに

百年戦争を語る際、多くの人がジャンヌ・ダルクの名を思い浮かべるでしょう。しかし、ジャンヌの活躍を支えた武将たちの存在も忘れてはなりません。その中でも特に重要な人物が「ラ・イル(La Hire)」です。勇猛果敢な戦士として知られたラ・イルは、ジャンヌ・ダルクと共に数々の戦場を駆け抜け、フランス王国の逆転劇に大きく貢献しました。今回は、百年戦争の名将ラ・イルについて解説します。ちょっとランバ・ラル思い出す名前です。


ラ・イルとは?

ラ・イル(La Hire)は通称で、本名はエティエンヌ・ド・ヴィニョール(Étienne de Vignolles)といいます。1390年頃に生まれ、1443年に亡くなりました。「ラ・イル」というあだ名はフランス語で「怒り」を意味する言葉に由来すると考えられており、その名の通り激しい戦いぶりで知られていました。敵軍からは恐れられ、味方からは頼りにされる猛将でした。「ジャンヌが奇跡を起こした英雄なら、ラ・イルはその奇跡を現実の勝利へ変えた武将」と言えるかもしれません。


ジャンヌ・ダルクとの出会い

1429年、フランス王国は存亡の危機にありました。その時に現れたのがジャンヌ・ダルクです。多くの貴族や将軍が半信半疑だった中で、ラ・イルは比較的早い段階からジャンヌと行動を共にしました。当時のジャンヌは17歳前後の少女でした。経験豊富な武将が少女の指揮に従うことは簡単なことではありません。

それでもラ・イルはジャンヌを支援し、彼女の軍事行動を支える重要な存在となりました。普通なら『少女の言うことを聞け』と言われても困るところですが、ラ・イルは実際に従っています。


オルレアン包囲戦での活躍

ラ・イルの名が特に知られるようになったのは1429年のオルレアン包囲戦です。当時、オルレアンはイングランド軍によって包囲されていました。もし陥落すればフランス王国はさらに追い詰められる状況でした。ジャンヌとラ・イルらは守備隊と協力し、包囲軍への攻撃を敢行します。

その結果、長期間続いた包囲戦は終結し、フランス軍は大きな勝利を収めました。この勝利は百年戦争の転換点の一つとされています。


パテーの戦いでの大勝利

オルレアン解放後、フランス軍は反撃を開始します。その中でも有名なのが1429年のパテーの戦いです。この戦いではラ・イルが前衛部隊を率い、イングランド軍に大打撃を与えました。しばしば「フランス版アジャンクールの逆転」とも呼ばれる戦いであり、フランス軍が主導権を取り戻すきっかけとなりました。パテーの勝利によってシャルル7世の戴冠への道が開かれます。


ジャンヌ捕縛後も戦い続けた武将

1430年、ジャンヌ・ダルクはコンピエーニュで捕らえられてしまいます。しかしラ・イルはその後も戦い続けました。彼はフランス王国軍の有力指揮官として活動し、シャルル7世に仕え続けます。ジャンヌの死後もフランス軍は徐々に勢力を回復し、最終的には百年戦争の勝利へとつながっていきました。ラ・イルはその過程を支えた功臣の一人です。


ラ・イルの逸話

後世の伝承では、ラ・イルは非常に荒々しい性格だったと伝えられています。また、ジャンヌと行動を共にするようになってから祈りを捧げるようになったという話も残されています。真偽不明の部分もありますが、彼の人物像を語る興味深い逸話です。

さらにフランスの伝統的なトランプでは、ハートのジャックのモデルがラ・イルとされています。意外なところで現代にも名前が残っているのです。


まとめ

ラ・イルは百年戦争後期に活躍したフランス軍の名将でした。ジャンヌ・ダルクと共にオルレアン包囲戦やパテーの戦いで戦い、フランス軍の反撃を支えました。ジャンヌの知名度に隠れがちですが、彼女の成功の裏にはラ・イルのような実力ある武将たちの存在がありました。もしジャンヌ・ダルクに興味を持ったなら、ぜひラ・イルにも注目してみてください。ついでにジル・ド・レもよろしくです。

「ジャンヌが希望なら、ラ・イルはその希望を剣で実現した男だった」と言えるでしょう。


参考資料・出典

  • Encyclopaedia Britannica「La Hire」
  • English Wikipedia「La Hire」
  • English Wikipedia「Siege of Orléans」
  • English Wikipedia「Battle of Patay」
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