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【海賊黄金時代】フランソワ・ロロノワとは何者だったのか?残虐なバッカニアの生涯と最期

海賊の歴史には、冒険者として語られる人物もいれば、あまりにも残虐な人物として恐れられた者もいます。

その代表格が、フランソワ・ロロノワです。

日本語資料では、ロロノワ、ロロノア、ロロノイスなど表記に揺れがあります。今回参考にしたジョン・エスケメリング著/石島晴夫編訳『カリブの海賊』では「ロロノア」と表記されていますが、本記事では一般的な表記として「ロロノワ」を使います。

ロロノワは、17世紀カリブ海で活動したフランス系のバッカニアです。バッカニアとは、カリブ海周辺でスペイン船やスペイン植民地を襲った海賊・私掠船員的な集団のことです。

その中でもロロノワは、スペイン人に対する激しい敵意と残虐性で知られました。

今回は、エスケメリング『カリブの海賊』とBritannica百科事典を参考に、ロロノワの人物像、遠征、そして壮絶な最期を見ていきます。

↓他の海賊たち↓

目次

ロロノワとは何者か

フランソワ・ロロノワは、フランス系のバッカニアとして知られる人物です。

彼はスペイン船やスペイン植民地を襲撃し、カリブ海で恐れられました。

ただし、彼を単なる「海の冒険者」として見るのは危険です。

エスケメリング『カリブの海賊』では、ロロノワは非常に残虐な人物として描かれています。特にスペイン人に対する暴力性が強調されており、彼の名は恐怖と結びついて語られています。

海賊ロマンというより、スペイン側から見れば完全に災害のような存在だったでしょう。

バッカニアとは何だったのか

ロロノワを理解するには、まずバッカニアという存在を知る必要があります。

バッカニアは、主に17世紀のカリブ海で活動した海賊・私掠船員的な人々です。

彼らはイングランド人、フランス人、オランダ人などが多く、スペイン船やスペイン領の町を襲撃しました。

当時のカリブ海では、スペインが大きな勢力を持っていました。そこへ、スペインと対立する国々の出身者や無法者たちが集まり、武装船団を組んで略奪を行ったのです。

バッカニアは、スペインから見れば海賊です。

しかし、スペインと対立する側から見れば、スペインの力を削る便利な存在でもありました。

この曖昧な世界で、特に残虐な方向へ名を残した人物がロロノワでした。

↓バッカニアの語源「海賊飯」↓

ロロノワの艦隊

エスケメリングの記録によると、ロロノワは副官たちと相談した後、ニカラグア湖へ入り、周辺の町や村を略奪する計画を立てました。

この遠征のため、ロロノワは約700人の兵を集めたとされています。

そのうち300人をマラカイボで奪った大型船に乗せ、残りを5隻の小型船に分けました。これにより、彼の艦隊は合計6隻になったと記されています。

ここで分かるのは、ロロノワが単なる小規模な海賊ではなかったことです。

数人でこそこそ船を襲うような存在ではありません。

数百人規模の兵を集め、複数の船を率いて遠征する、かなり大規模なバッカニア指揮官でした。

もはや小さな海賊団ではなく、海上略奪軍団です。

ニカラグア遠征の計画

ロロノワの計画は、ニカラグア方面へ進み、川をさかのぼって内陸部を襲うことでした。

しかし、大型船では浅い川を進むことができません。

そのため彼らは、キューバ南側のマタマノへ向かい、できるだけ多くのカヌーを盗もうとしました。

そこにはウミガメ漁師たちが住んでいました。彼らはウミガメを捕り、塩漬けにしてハバナへ送っていたと記されています。

ロロノワたちは、その人々から仕事道具を奪い、さらに男たちを何人か連れ去りました。

ここにもバッカニアの現実が出ています。

彼らは財宝を積んだスペイン船だけを狙っていたわけではありません。必要なら、漁師のカヌーも奪う。道具も奪う。人も連れ去る。

かなり容赦がありません。

「自由な海賊の冒険」というより、実態は武装集団による略奪遠征です。

食料不足と略奪

ロロノワの遠征は、順調には進みませんでした。

彼らは風や海流に悩まされ、予定していた進路から外れてしまいます。大型船は他の船についていけなくなり、さらに食料も不足し始めました。

そこで彼らは、新鮮な食料を求めて上陸します。

エスケメリングによると、彼らはリオ・ザグア川へカヌーを送り、川岸に住む人々の住居を略奪しました。

そこで奪ったものとして、トウモロコシ、豚、鶏、七面鳥、その他手に入るものが挙げられています。

この記述は、ロロノワたちの行動を考えるうえで重要です。

バッカニアたちは、船に食料を積んで出航しました。しかし、航海が長引いたり、予定が狂ったりすれば、すぐに食料不足へ直面します。

そのとき彼らは、購入ではなく略奪で食料を確保しました。

つまりロロノワの遠征は、戦闘だけでなく、補給も略奪に頼る危険な作戦だったのです。

海賊飯どころか、現地の人々から見れば食料強奪事件です。

ロロノワの残虐性

ロロノワを語るうえで避けられないのが、その残虐性です。

エスケメリングは、ロロノワがスペイン人に対して非常に残酷であったことを強く描いています。

具体的な暴力描写もありますが、記事では細部を刺激的に並べるより、その意味を見た方がよいでしょう。

ロロノワは、単に敵を倒すだけではなく、恐怖そのものを武器にしていた人物だったと考えられます。

スペイン人に対して容赦しない。
捕虜にも苛烈に振る舞う。
相手を恐れさせることで、自分の名を広める。

こうした行動は、バッカニアとしての軍事的効果を狙った面もあったかもしれません。

しかし、エスケメリングの筆致から見る限り、ロロノワは同時代の中でも特に残虐な人物として記憶されていたようです。

普通の海賊でも怖いのに、その中でも「特に危険」とされるのは相当です。

ニカラグア川での敗北

エスケメリング『カリブの海賊』によると、ロロノワはニカラグア川の河口に到着して上陸しました。

しかし、そこで彼は再び不運に遭います。

スペイン人と現地の先住民が協力して海賊たちを攻撃し、ロロノワの仲間の多くを殺したと記されています。

辛うじて船に逃げのびたロロノワは、その地でカヌーを探すことを断念しました。

そして、わずかな部下を連れてカルタヘナ方面へ向かい、そこでカヌーを捕獲しようとします。

ここはロロノワの転落がはっきり見える場面です。

かつては700人規模の兵を集めた指揮官だったロロノワが、この時点では部下を大きく失い、カヌー探しにも失敗しています。

大海賊の勢いは、ここでかなり崩れていたと考えられます。

ロロノワの最期

エスケメリングの記録では、ロロノワの最期は非常に凄惨です。

カルタヘナの南、ダリエン湾沿岸に住む先住民の地域へ上陸したロロノワは、そこで襲撃を受けます。

そして、生きたまま体を切り裂かれ、手足は火の中へ投げ込まれたと記されています。

この話は、ロロノワの仲間の一人からエスケメリングが直接聞いたものだとされています。

また、その仲間によると、捕まった他の海賊たちもロロノワと同じように殺されたとされています。

この場面について、エスケメリングは、これまで多くの残虐行為を重ね、罪のない人々の命を奪ってきたロロノワが、自分と同じように残酷な相手によって報復されたのだ、という趣旨で描いています。

また同書では、ロロノワは41歳であったと記されています。

ロロノワはなぜ恐れられたのか

ロロノワが恐れられた理由は、いくつかあります。

第一に、スペイン勢力を執拗に狙ったことです。

カリブ海や中央アメリカ沿岸には、スペインの植民地や拠点がありました。そこを襲撃するバッカニアは、スペイン側から見れば深刻な脅威でした。

第二に、大規模な集団を率いる指揮官だったことです。

エスケメリングの記録では、ロロノワは約700人を集め、6隻の艦隊を編成しています。

これは小さな盗賊団ではありません。

町や村にとっては、かなり危険な武装集団です。

第三に、残虐な評判です。

戦闘に強いだけなら、まだ交渉の余地があるかもしれません。

しかし、捕まればひどい目に遭うと恐れられる相手は、精神的な圧力が大きいです。

ロロノワの名は、スペイン人にとって恐怖の象徴だったのでしょう。

ロロノワは英雄か、怪物か

ロロノワをどう評価するかは難しいところです。

バッカニアの側から見れば、彼は大胆な指揮官だったかもしれません。

スペイン勢力に対抗し、仲間を集め、艦隊を率いた人物です。

しかし、襲われた側から見れば、彼は恐怖そのものです。

  • 食料を奪われる。
  • 町を襲われる。
  • 捕虜は残酷に扱われる。
  • 生活を破壊される。

これを「冒険」と呼ぶのは、かなり一方的です。

海賊史では、どうしてもロマンが先に立ちます。

  • 黒い旗。
  • 宝の地図。
  • 自由な船乗り。
  • カリブ海の冒険。

しかしロロノワのような人物を見ると、海賊の現実はもっと暴力的で、略奪的で、恐ろしいものだったことが分かります。

ロロノワは、海賊ロマンの裏側にある残酷な現実を象徴する人物と言えるでしょう。

まとめ

フランソワ・ロロノワ、またはロロノアは、17世紀カリブ海で活動したフランス系のバッカニアです。

エスケメリング『カリブの海賊』では、ロロノワは非常に残虐な人物として描かれています。

彼は約700人を集め、6隻の艦隊を率いてニカラグア方面への遠征を計画しました。

航海中にはカヌーを奪い、食料が不足すると現地の住居を略奪し、トウモロコシ、豚、鶏、七面鳥などを奪っています。

しかし遠征は失敗へ向かいました。

ニカラグア川の河口付近で、スペイン人と先住民の協力による攻撃を受け、多くの仲間を失います。

その後、ロロノワはわずかな部下とともにカルタヘナ方面へ向かいましたが、ダリエン湾沿岸で先住民に襲われ、凄惨な最期を迎えたと記録されています。

同書では、ロロノワは41歳であったとされています。

彼の最期は、エスケメリングによって「残虐行為を重ねた者への報復」のように描かれています。

もちろん、その叙述には当時のヨーロッパ人側の偏見も含まれているため、現代の記事では注意して扱う必要があります。

それでも、ロロノワという人物が、海賊黄金時代の華やかなロマンではなく、その裏側にある暴力と略奪の現実を見せてくれる存在であることは間違いありません。

ヘンリー・モーガンが国家に取り込まれた海賊だとすれば、ロロノワは暴力の海に飲み込まれて消えた海賊だったのかもしれません。

参考資料・出典

  • ジョン・エスケメリング著/石島晴夫編訳『カリブの海賊』
  • Alexander O. Exquemelin, The Buccaneers of America / 原著 De Americaensche Zee-Roovers, 1678
  • Library of Congress, “Exploring the Early Americas: The Buccaneers of America”
  • Encyclopaedia Britannica “Buccaneer”
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