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【戦国】九十九茄子とは?信長公記に見える松永久秀の献上品

目次

九十九茄子とは

九十九茄子とは戦国時代に名物として知られた茶入です。

茶入とは、茶の湯で抹茶を入れるための小さな容器です。形が茄子に似た茶入は「茄子茶入」と呼ばれ、戦国時代の茶人や武将たちの間で非常に高く評価されました。

九十九茄子は、表記として「九十九髪」「付藻茄子」「つくも」などと書かれることがあります。名前だけ見ると少し不思議ですが、戦国時代の茶道具の世界では、名物茶器に独特な名前が付けられることは珍しくありませんでした。

今回の記事では後世の伝説ではなく、まず『信長公記』で確認できる内容を中心に見ていきます。


『信長公記』に見える九十九髪

『信長公記』巻一、永禄十一年の記事には、松永久秀が織田信長に名物茶入を献上したことが記されています。現代語訳では松永久秀が「我が国に二つとない茶入『九十九髪』」を信長に献上した、という内容になっています。

ここから分かることは、少なくとも『信長公記』の記述上、九十九髪は松永久秀から信長へ献上された非常に貴重な茶入だったということです。同じ箇所では、今井宗久も名物の茶壺「松島」や、武野紹鴎旧蔵の茶入「茄子」を献上したとされています。つまりこの場面では、信長のもとへ畿内の有力者たちが次々と宝物を差し出していたことが分かります。

これは単なる贈り物ではありません。

信長に従う意思を示すための、政治的な献上品だったと考えるのが自然です。
戦国時代の茶器は、ただの趣味の道具ではなく、権力者への忠誠や教養、財力を示す道具でもありました。


信長の茶会に飾られた九十九髪

九十九髪は、献上されただけで終わったわけではありません。『信長公記』巻八「茶の湯」の記事には、天正年間、信長が京都・堺の茶人たちを招いて茶会を開いたことが記されています。

その座敷飾りの中に

内赤の盆に「九十九髪」の茶入

という内容が見えます。信長は九十九髪を所持していただけでなく、茶会の場で実際に飾っていました。

この記述はかなり重要です。九十九茄子は、松永久秀が信長に差し出しただけの茶器ではなく、信長の茶の湯空間を飾る名物として扱われていたことが分かるからです。信長にとって茶器は、単なる美術品ではありませんでした。有力者を招き、自らの権威を示す場で用いる政治的な道具でもあったのでしょう。


文化遺産オンラインで見る茄子茶入の価値

文化遺産オンラインでは、唐物茄子茶入の説明の中で、付藻茄子が静嘉堂蔵であり、本茄子茶入、百貫茄子、珠光茄子とともに「天下の四茄子茶入」と称されることが紹介されています。

ここで注意したいのは、文化遺産オンラインの該当ページそのものは、主に別の唐物茄子茶入についての説明です。
ただし、その説明の中で付藻茄子が天下の四茄子の一つとして挙げられているため、九十九茄子が茶入の中でも特別な存在として位置づけられていたことを補助的に確認できます。

また、九十九茄子については、現物に継ぎ合わせの痕跡があると紹介されることがあります。これは非常に面白い点です。ただ美しいまま残った名物ではなく、戦乱や火災、修復の記憶を背負った茶器として見た方が、九十九茄子の歴史には深みがあります。

茶器は壊れやすいものです。それでも修復され、伝えられ、現代まで名を残している。そこに、戦国時代の名物茶器の執念のようなものを感じます。


九十九茄子から見える松永久秀

松永久秀といえば、平蜘蛛の茶釜を最後まで手放さなかった人物として語られます。

しかし『信長公記』を見る限り、九十九髪については信長に献上しています。この対比はとても印象的です。

九十九茄子は差し出した。しかし、平蜘蛛は最後まで渡さなかった。

もちろん、この違いから久秀の心の内を断定することはできません。九十九茄子を差し出した時点では、信長との関係を保つ必要があったのでしょう。逆に、信貴山城で滅びる時の久秀は、もはや信長に何かを差し出して生き延びる段階ではなかったのかもしれません。

しかし、歴史として見ると、この差はどうしても胸に残ります。戦国武将にとって茶器は、命より重いとは言い切れません。けれど、時には領地や武功に匹敵するほどの意味を持ちました。

九十九茄子を信長へ渡した久秀と、平蜘蛛を最後まで抱え込んだように語られる久秀。その二つの姿を並べると、彼が単なる裏切り者でも、ただの茶器好きでもなかったように見えてきます。


まとめ

九十九茄子は、戦国時代を代表する名物茶入の一つです。

『信長公記』には、松永久秀が「我が国に二つとない茶入『九十九髪』」を信長へ献上したことが記されています。さらに後の記事では、信長の茶会の座敷飾りとして「九十九髪」が用いられたことも確認できます。

文化遺産オンラインの説明からも、付藻茄子が天下の四茄子茶入の一つとして知られていたことが分かります。現物には継ぎ合わせの痕跡があるともされ、九十九茄子はただの美しい茶器ではなく、戦乱と修復をくぐり抜けた名物として見ることができます。

個人的に心に残るのは、松永久秀が九十九茄子を信長に献上していることです。
平蜘蛛は最後まで手元に残したように語られるのに、九十九茄子は信長に差し出している。

この差が、なんとも人間くさいです。生きるために差し出した茶入。それでも最後まで手放せなかった茶釜。久秀という人物の複雑さが、二つの茶器の扱い方ににじんでいるように感じます。


参考資料・出典

  • 太田牛一『信長公記』巻一
  • 太田牛一『信長公記』巻八「茶の湯」
  • 文化遺産オンライン「唐物茄子茶入(紹鴎・一名みをつくし)」

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