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【海賊黄金】ヘンリー・モーガンとは何者だったのか?海賊からジャマイカ副総督になった男

海賊の歴史には荒くれ者として海に消えた人物もいれば、なぜか最後に出世してしまう人物もいます。その代表格がヘンリー・モーガンです。ヘンリー・モーガンは、17世紀カリブ海で活動したウェールズ出身のバッカニアです。スペイン領の都市や船を襲い大きな戦果を挙げました。

ところがこの人物、ただの海賊で終わりません。後にナイトに叙されなんとジャマイカ副総督にまでなっています。普通なら「海賊として処刑されました」で終わりそうなのに、モーガンはむしろ支配する側へ回ったのです。今回は、エクスケメリン『アメリカのバッカニアたち』とBritannica百科事典を参考に、ヘンリー・モーガンの生涯を見ていきます。

目次

ヘンリー・モーガンとは何者か

ヘンリー・モーガンは17世紀後半にカリブ海で活動したウェールズ出身のバッカニアです。Britannicaでは彼を「スペインのカリブ海植民地を略奪した冒険者の中でも最も有名な人物」と説明しています。彼はスペイン船やスペイン領の町を襲撃しジャマイカを拠点に大きな名声を得ました。

活動地域は、キューバ、ベネズエラ、パナマ方面などです。特に有名なのが、マラカイボ湖周辺での戦いとパナマ攻撃です。モーガンは単なる海賊というより、イングランド側の非公式な支援や黙認を受けながら、スペイン勢力を攻撃した人物でした。つまりスペインから見れば海賊。イングランド側から見れば、スペインを削ってくれる便利な戦力。

バッカニアとは何だったのか

モーガンを理解するには、まず「バッカニア」という存在を知る必要があります。

バッカニアとは、主に17世紀のカリブ海で活動した海賊・私掠船員的な集団です。Britannicaでは、バッカニアはカリブ海や中央アメリカの太平洋岸に特有の存在で、もともとはイスパニョーラ島西部のフランス系狩猟民に由来する言葉だと説明されています。彼らは最初から大艦隊を率いる海賊だったわけではありません。

もともとは野生動物を狩り、肉を燻製にして生活していた者たちが、機会があれば海賊行為にも手を染めていった存在でした。やがて彼らは、スペイン船やスペイン植民地を襲撃する武装集団へと変化していきます。Britannicaによれば、ヘンリー・モーガンの登場によって、バッカニアたちはより強力な集団へ組織化され、ポルトベロやパナマを攻略するほどの力を持つようになりました。

つまりモーガンは、バッカニアを「荒くれ者の集まり」から「作戦行動ができる軍事集団」に近づけた人物とも言えます。海賊団というより、もはや海上特殊部隊みたいなものです。もちろんやっていることは略奪ですが。

若き日のモーガン

エクスケメリン『アメリカのバッカニアたち』では、ヘンリー・モーガンはウェールズに生まれたとされています。父は裕福な農民でしたが、モーガン自身は農作業を嫌い海へ出ることを決意しました。そしてバルバドス行きの船に乗り到着後には年季奉公人として売られたと記されています。

ここはかなり印象的です。後にカリブ海で名を轟かせる大物バッカニアが、最初から偉大な船長だったわけではないのです。むしろ始まりは、かなり厳しい立場でした。

エクスケメリンによれば、モーガンは年季奉公の期間を終えるとジャマイカへ向かい、そこで海へ出ようとしていたバッカニア船団を見つけます。そして彼は、その遠征に加わり、バッカニアの生活を学んでいきました。

農業が嫌で海へ出たら、最終的にカリブ海最強クラスのバッカニアになる。人生の進路変更が激しすぎます。

バッカニアとして頭角を現す

エクスケメリンの記録ではモーガンはバッカニアたちと三、四度航海した後、仲間たちとともに略奪品や賭博で得た金によって、自分たちの船を買えるようになったとされています。そしてモーガンは船長に選ばれ、カンペチェ沿岸で略奪を行い、数隻の船を捕獲しました。

このあたりから、モーガンは一介の乗組員ではなく、指揮官として頭角を現していきます。さらに、ジャマイカにはマンスフェルトという老バッカニアがいました。彼は本土襲撃のために艦隊を集めようとしており、モーガンが勇気ある若者であることを見て、自分の遠征に加えます。そしてモーガンは、その艦隊の副提督に任命されました。

エクスケメリンによれば、この艦隊は15隻、ワロン人やフランス人を含む500人からなるものでした。かなり大規模です。モーガンはここで、単なる船長から、複数の船と多数の兵を動かす指揮官へ成長していったのでしょう。海賊艦隊提督ドン・モーガン!

プエルト・デル・プリンシペ攻撃

モーガンの作戦の一つに、キューバのプエルト・デル・プリンシペ攻撃があります。エクスケメリンによれば、ある男がこの町を攻撃する案を出しました。

その男は、プエルト・デル・プリンシペには多くの金があると語りました。ハバナの商人たちが皮革を買いに来る場所だったからです。町は海から少し離れており、これまで略奪されたことがなかったため、住民たちはイングランド人を恐れていなかったとされています。

モーガンたちはこの案を採用し、最寄りのサンタ・マリア港へ向かいました。しかし、ここで予想外の出来事が起きます。イングランド人の捕虜になっていたスペイン人が、バッカニアたちの会話を聞き、プエルト・デル・プリンシペが狙われていることを知ってしまったのです。

その男は夜に海へ飛び込み、島へ泳ぎ着き、さらに島から島へ泳いでキューバ本島へ到達しました。そして町にたどり着き、住民たちへ海賊の接近を知らせました。すごい執念です。

その結果、町側は財産を隠し、総督は人員を集め、道路を封鎖し、待ち伏せを準備しました。モーガンたちは奇襲を狙っていたはずですが、完全に事前通報されてしまったわけです。これは、バッカニアの襲撃が常に一方的に成功したわけではないことを示しています。

海賊側にも計画ミスや情報漏れはありました。だってにんげんだもの。

マラカイボでの危機

モーガンの有名な作戦の一つが、マラカイボ湖での戦いです。エクスケメリンの記録では、モーガンたちがマラカイボへ戻ると、予想外の知らせを受けます。湖の入口にスペインの軍艦が3隻待ち伏せしており、さらに砦にも大砲と兵士が戻されていたというのです。

モーガンは小型船を出して確認させました。すると、報告は事実でした。スペイン軍艦は実際に湖の入口を押さえており、砲撃までしてきました。

軍艦のうち最大のものは少なくとも40門の大砲を備え、次の船は30門、最小の船でも24門の大砲を持っていたと記されています。これはかなり危険な状況です。

モーガンたちは湖の中に閉じ込められ、外には重武装のスペイン艦隊が待ち構えている。戦利品を抱えた海賊団にとって、最悪に近い展開です。

スペイン将軍からの脅迫状

このとき、スペイン側の将軍ドン・アロンソ・デル・カンポ・イ・エスピノサから、モーガンへ手紙が送られました。内容はかなり強気です。要するに

  • 奪ったものをすべて返せ。
  • 奴隷や捕虜も返せ。
  • そうすれば帰国を許してやる。
  • 拒めば完全に滅ぼし、全員を剣にかける。

というものです。スペイン側からすれば当然の要求でしょう。モーガンたちはスペイン領を荒らし、略奪し、捕虜を取っていたのです。しかし、モーガンはこの手紙をすべてのバッカニアたちの前で読み上げました。そして彼らに問います。戦利品を引き渡して通行を許されたいのか。それとも戦って守りたいのか。

バッカニアたちの答えは一致していました。戦利品を渡すくらいなら、死ぬまで戦う。いや、海賊メンタルが強すぎる。彼らは一度そのために命を賭けたのだから、二度目も同じ覚悟があると答えたのです。でも個人的には正直勢いだけで言った説を唱えたい。

モーガンの火船作戦

ここでモーガンたちは、スペイン艦隊を突破するための作戦を立てます。その中で、一人の男が進み出て、自分がわずか12人で大船を破壊する方法を請け負うと言いました。作戦はこうです。

  • 捕獲した船を火船にする。
  • その船を軍艦のように見せかける。
  • 旗を掲げる。
  • 甲板には帽子をかぶせた丸太を立て、乗組員のように見せる。
  • さらに中空の丸太を砲門から突き出し、大砲のように見せる。

つまり、偽装した火船をスペイン艦隊へ突っ込ませる作戦です。これが実に面白い。ただ燃える船を流すだけではありません。敵に「武装した船が接近してくる」と思わせるため、丸太で人形や大砲まで作っているのです。完全に海賊版のだまし討ち作戦です。モーガンたちはまず交渉も試みました。

  • マラカイボ市を焼かずに去る。
  • 奴隷の半数を返す。
  • 捕虜を解放する。
  • 身代金要求を取り下げる。
  • 人質も解放する。

こうした条件を出しました。しかしスペイン将軍は拒否します。そのためモーガンと部下たちは、戦利品を渡さずに湖を脱出するため、全力で行動することを決めました。このマラカイボ湖の場面は、モーガンの特徴をよく示しています。彼は力任せの海賊ではありません。

  • 交渉もする。
  • 部下の意見も聞く。
  • 敵の心理を読む。
  • 偽装火船という奇策を使う。

かなり実戦的な指揮官です。このぐらいできなければ船長も務まらなかった気はしますが。

パナマ攻撃

モーガン最大級の遠征として知られるのが、パナマ攻撃です。Britannicaでは、モーガンによる1671年のパナマ攻略が、彼の大きな事績として挙げられています。また、Britannicaのパナマ市の説明でも、旧市街は1519年に建設され、1671年にウェールズ人海賊ヘンリー・モーガンによって完全に破壊されたと説明されています。

エクスケメリンの記録では、パナマ市へ向かうモーガンたちが、朝に攻撃準備を整え、太鼓を鳴らし旗を掲げて進軍した様子が描かれています。さらに案内人たちは、スペイン人の待ち伏せを避けるため、大通りではなく別の道を進むよう忠告しました。

モーガンたちはその忠告に従い、大通りから少し離れ、森の中の道を一列になって進みます。スペイン人たちは大通り沿いに塹壕を築いていました。しかしバッカニアたちが別道を進んだため、スペイン側は向きを変えて対応せざるを得なくなります。

ここでも、モーガンたちは力押しだけではなく、敵の待ち伏せを避ける戦術を取っています。その後の戦闘では、スペイン側に多くの死者が出たと記されています。バッカニア側の損害は比較的少なく、彼らは市への攻撃準備を整えました。

エクスケメリンの記録は、モーガンのパナマ攻撃を、単なる海賊の突撃ではなく、事前の進軍、地形判断、待ち伏せ回避、隊列行動を伴う軍事作戦として描いています。

なぜモーガンは出世できたのか

ヘンリー・モーガンの不思議なところは、最後に出世していることです。Britannicaによれば、モーガンは後にナイトに叙され、ジャマイカ副総督に任命されました。しかもこれは、パナマ攻撃の後のことです。

普通に考えると、「スペイン領を襲った海賊がなぜ出世?」となります。ここには、当時の国際関係が関わっています。17世紀のカリブ海では、イングランドとスペインの対立が非常に重要でした。モーガンはスペイン領を襲撃した人物ですが、その行動はイングランド側から見ると、スペインの力を削る行為でもありました。

つまり、彼は単なる犯罪者ではなく、帝国間の対立の中で利用価値のある人物だったのです。ただし、状況は単純ではありません。

Britannicaによれば、1670年のマドリード条約でイングランドとスペインの関係が調整され、イングランド当局はジャマイカのバッカニアを抑えようとしました。そのため、モーガンはパナマ攻撃の後、1672年に逮捕されています。しかしその2年後、彼は王冠からナイトに叙され、ジャマイカ副総督に任命されました。

逮捕されたと思ったらナイト
海賊だったと思ったら副総督

海賊か、私掠船長か、植民地支配者か

このブログでは何度か同じ話ししてますが。ヘンリー・モーガンを一言で表すのは難しいです。スペインから見れば彼は間違いなく海賊です。スペイン領を襲い、都市を略奪し、多くの被害を与えました。一方、イングランド側から見ると、彼はスペイン勢力を弱めた有能なバッカニアであり、時には私掠船長のような役割を果たした人物です。

さらに晩年には、ジャマイカ副総督として支配する側に回っています。つまりモーガンは

  • 海賊
  • バッカニア
  • 私掠船的指揮官
  • 植民地政治家

これらの顔をすべて持っていました。だからこそ彼は面白いのです。黒ひげのように海賊として討たれた人物とは違い、モーガンは国家と植民地の隙間を生き抜きました。カリブ海の暴力的な世界で名を上げ、最後にはその秩序の中に入り込んだのです。ある意味、海賊界でもかなり珍しい「成り上がり成功例」と言えるでしょう。

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まとめ

ヘンリー・モーガンは、17世紀カリブ海を代表するウェールズ出身のバッカニアです。エクスケメリン『アメリカのバッカニアたち』では、彼は農作業を嫌って海に出た若者として描かれ、年季奉公を経てジャマイカへ渡り、バッカニアとして頭角を現した人物として語られています。

彼はプエルト・デル・プリンシペ、マラカイボ、パナマなど、スペイン領への大規模な襲撃で知られました。特にマラカイボ湖では、スペイン艦隊に出口を封鎖される危機に陥りながら、偽装した火船を使う奇策で突破を図りました。またパナマ攻撃では、敵の待ち伏せを避けながら進軍するなど、単なる荒くれ海賊ではなく、戦術眼を持つ指揮官としての一面も見せています。

Britannicaでは、モーガンはスペインのカリブ海植民地を略奪した冒険者の中でも最も有名な人物とされ、後にナイトに叙され、ジャマイカ副総督となったことも説明されています。つまりモーガンは、ただの海賊ではありません。

  • スペインから見れば恐るべき略奪者。
  • イングランドから見ればスペインを削る有用な戦力。
  • そして最後には、植民地支配の側へ回った人物。

やはり海賊船の船長になれるような人材は現代からみてもとても頭も行動力も優れているように思えます。

参考資料・出典

  • アレクサンドル・エクスケメリン『アメリカのバッカニアたち』
  • Encyclopaedia Britannica “Sir Henry Morgan”
  • Encyclopaedia Britannica “Buccaneer”
  • Encyclopaedia Britannica “Jamaica: British rule”
  • Encyclopaedia Britannica “Panama City”
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