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【三国志】孫尚香とは?正史と裴松之注が描く「武装侍女を従えた孫夫人」

三国志の女性人物の中でも、特に有名な人物の一人が孫尚香です。孫権の妹。劉備の妻。

武装した侍女を百人以上も従えた女性。後世の創作では弓を手にして戦場を駆ける勇ましい姫として描かれることもあります。

しかし陳寿『三国志』と裴松之注を実際に読んでみると、意外な事実があります。少なくとも今回確認した正史と裴松之注の該当箇所には、「孫尚香」という名前は出てきません。史料では主に「孫夫人」「孫権の妹」として登場します。

では本物の孫夫人はいったいどんな女性だったのでしょうか。

今回

・陳寿『三国志』巻三十二「先主伝」

・陳寿『三国志』巻三十七「法正伝」

・裴松之注

・裴松之注引『趙雲別伝』

の記述をもとに史料から確認できる孫夫人の実像を見ていきます。

目次

そもそも「孫尚香」は本名なのか?

まず最初に重要なのが名前です。

現在では「孫尚香」という名前が非常に有名ですが、今回確認した陳寿『三国志』と裴松之注では、「尚香」という名は確認できません。正史では

「孫権の妹」

「孫夫人」

と記されています。そのため、彼女の本名が本当に孫尚香だったとは、今回の史料からは断定できません。

この記事では分かりやすさのために一般に知られる「孫尚香」という名前も使いますが、歴史上の記録を厳密に見るなら「孫夫人」と呼ぶ方が正確です。開始早々、本名からして謎である。三国志の女性人物ではよくあることですがそれだけ記録が限られているとも言えます。

孫権は妹を劉備に嫁がせた

陳寿『三国志』巻三十二「先主伝」には、孫権が自らの妹を劉備に嫁がせたことが記されています。

原文には

權稍畏之、進妹固好。

とあります。大まかな意味は「孫権は次第に劉備を畏れ、妹を嫁がせて友好関係を固めた」というものです。

ここから確認できるのは、この結婚が劉備と孫権の政治的関係を強化する意味を持っていたことです。少なくとも正史には二人が恋愛によって結ばれたとは書かれていません。

孫権の妹と劉備の結婚は、呉と劉備勢力を結び付ける極めて政治的な婚姻だったと見るのが自然でしょう。つまり孫夫人は、単なる「三国志のヒロイン」ではありません。彼女自身が劉備と孫権の関係を象徴する存在でもあったのです。

劉備は孫夫人を恐れていた

そして正史で特に驚かされるのが陳寿『三国志』巻三十七「法正伝」の記述です。諸葛亮が法正について語った言葉の中に、

近則懼孫夫人生變於肘腋之下

という一文があります。意味は

「身近なところでは、孫夫人がすぐそばで変事を起こすことを恐れていた」

という趣旨です。ここで重要なのは、これは陳寿による正史本文に記録されているという点です。つまり劉備は少なくとも孫夫人を完全に安心できる存在とは考えていなかったことになります。ただし

「孫夫人が本当に劉備暗殺を計画していた」

「実際に反乱を起こそうとしていた」

とまでは書かれていません。史料から確実に言えるのは、劉備が孫夫人による身近な場所での変事を恐れていたということです。それにしても妻を恐れるというレベルが夫婦喧嘩ではありません。乱世の政略結婚、怖すぎる。

ここからは裴松之注、才気が鋭く剛猛だった孫夫人

ここからは陳寿の正史本文ではなく裴松之注に記された説明です。裴松之注では孫夫人について

妹才捷剛猛、有諸兄之風。

と記されています。大まかには「妹は才気が鋭く剛猛で、兄たちのような気風を持っていた」という意味です。

孫権だけでなく孫策をはじめとする孫氏一族は乱世の中で勢力を築いた家です。その妹である孫夫人もまた、兄たちを思わせるほど強い気質の持ち主だったと記されているのです。

ただしここは注意が必要です。この記述だけで、「孫夫人本人が武芸の達人だった」「戦場で敵兵と戦った」「弓の名手だった」とは言えません。

今回確認した正史と裴松之注には孫夫人本人が弓を使ったという記述も戦場で戦ったという記述も見当たりません。史料から確認できるのは、才気が鋭く剛猛で、兄たちのような気風を持つ女性だったというところまでです。

武装侍女が百人以上!劉備も内心ビビっていた

さらに裴松之注には非常に有名な記述があります。

侍婢百餘人、皆親執刀侍立、先主每入、衷心常凜凜。

大まかに訳すと「侍女は百人余りおり、全員が自ら刀を持って立っていた。劉備はそこへ入るたび、内心いつも恐れ慎んでいた」という意味です。いや怖い。

家に帰ったら妻の周りに百人以上の武装侍女が立っている。劉備は曹操や呂布を相手に戦ってきた人物ですがこれはさすがに落ち着かなかったのでしょう。しかもこの記述は先ほど紹介した正史本文の「劉備は孫夫人が身近なところで変事を起こすことを恐れていた」という記録ともつながります。

ただしここでも慎重に見る必要があります。史料には武装していたのは「侍婢百余人」と書かれています。つまり孫夫人本人が刀を持って劉備を威嚇していたとは書かれていません。それでも百人以上の侍女が刀を持って立っている環境は十分すぎるほど異様です。

現代の「戦う姫」というイメージそのものではありませんが少なくとも穏やかでおとなしい女性として記録された人物ではありません。

【裴松之注引『趙雲別伝』】趙雲が孫夫人側を統制した

さらに孫夫人について重要な記録が裴松之注が引用する『趙雲別伝』にあります。ここは陳寿の正史本文ではなく裴松之注が引用した別史料です。

『趙雲別伝』によれば、劉備が益州へ入った頃、孫夫人は孫権の妹であることを背景に強い態度を取り、多くの呉の役人や兵士を伴っていました。そして彼らは

縱橫不法

つまり法を顧みず勝手に振る舞ったと記されています。そこで劉備は趙雲の性格が厳重であり、秩序を整えることができると考え、特に宮中・内部のことを任せたとされます。

つまり『趙雲別伝』に従えば、趙雲は実際に孫夫人側の人々を統制する役割を担っていたことになります。現在の創作では「孫夫人が暴れる」「趙雲が困る」

というようなイメージになることもありますが、史料上の話はもっと緊張感があります。劉備の本拠内部に孫権の妹がいて、多数の呉の役人や兵士を連れている。これは単なる家庭問題ではなく、政治と軍事に直結する問題だったのでしょう。

劉禅を連れて呉へ帰ろうとした

そして『趙雲別伝』にはさらに重大な事件が記されています。劉備が西方へ遠征したことを知った孫権は多くの船を送り、妹である孫夫人を迎えようとしました。その時

夫人內欲將後主還吳

とあります。

つまり「孫夫人は密かに後主、すなわち後の劉禅を連れて呉へ帰ろうとした」ということです。

『趙雲別伝』は、孫夫人がなぜ劉禅を連れて行こうとしたのか、その動機を説明していません。そのため「人質にするつもりだった」「孫権の命令だった」「劉禅を誘拐しようとした」とまでは分かりません。

確認できる事実は、孫夫人が劉禅を連れて呉へ帰ろうとしたと『趙雲別伝』に記されていることです。

趙雲と張飛が川を遮って劉禅を取り戻す

『趙雲別伝』によればこの事態に対して動いたのが趙雲と張飛でした。原文には

雲與張飛勒兵截江、乃得後主還。

とあります。

大まかな意味は、「趙雲と張飛は兵を率いて川を遮り、こうして後主を取り戻した」です。

これはかなり重大な事件です。もし劉禅がそのまま呉へ渡っていたら、その後の蜀漢の歴史がどうなっていたのかは分かりません。ただし、もう一度重要な点を確認するとこの話は陳寿の正史本文ではなく裴松之注が引用した『趙雲別伝』の記述です。

正史本文と後から付けられた注釈史料は分けて扱う必要があります。それでも裴松之がわざわざ引用して残したことで、孫夫人を語るうえで非常に有名な記録となりました。

孫夫人は本当に戦う姫だったのか?

結論から言えば今回確認した正史と裴松之注だけでは不明です。確認できるのは

・孫権の妹だった

・劉備に嫁いだ

・才気が鋭く剛猛だったと記される

・兄たちのような気風を持っていた

・百人余りの侍女が刀を持って仕えていた

・劉備が彼女を恐れていた

ということです。一方で

・本人が弓を使った

・本人が刀で戦った

・戦場に出た

・武芸の達人だった

という記録は、今回確認した史料にはありません。したがって「孫尚香=弓を使う女武将」というイメージを、そのまま史実と考えることはできません。

しかし百人以上の武装侍女を従え、劉備本人が警戒していたという記述だけでも、十分に強烈な人物です。むしろ創作で盛らなくてもキャラが濃い。

孫尚香の最後はどうなったのか?

これについては不明です。『趙雲別伝』では、孫権が船を送って妹を迎え孫夫人が呉へ帰ろうとするところまで記されています。しかしその後の人生について、今回確認した正史と裴松之注からは詳しいことは分かりません。

後世には劉備の死を悲しんで入水したという物語などもありますが、今回使用した史料からは確認できません。そのため、史実としては孫夫人は呉へ帰った後、その後の詳しい生涯は不明とするのが最も安全です。

孫尚香から考える生き方

ここからは史実ではなく、個人的な感想です。孫夫人の人生を見ると強い立場に生まれたからといって必ずしも自由に生きられるわけではないのだと感じます。

彼女は孫権の妹という非常に高い身分に生まれました。しかしその結婚は劉備と孫権の友好関係を固めるためのものでした。そして劉備との間には正史にまで「変事を恐れた」と書かれるほどの緊張関係があったようです。彼女自身がこの結婚をどう思っていたのか。劉備をどう見ていたのか。

なぜ劉禅を連れて呉へ帰ろうとしたのか。その本心は分かりません。史料が残してくれたのは外側から見た彼女の姿だけです。

それでも、兄たちのような気風を持ち、百人以上の武装侍女を従えた女性が、あの三国志の乱世を実際に生きていた。そう考えると、後世の人々が彼女に強烈な魅力を感じたのも分かる気がします。

まとめ|正史の孫夫人は創作以上に緊張感のある女性だった

一般には孫尚香の名で知られる孫夫人。しかし今回確認した陳寿『三国志』と裴松之注では、「尚香」という名前は確認できませんでした。

正史本文で確認できるのは孫権の妹として劉備に嫁いだこと。そして諸葛亮の言葉として劉備が孫夫人による身近な変事を恐れていたことです。さらに裴松之注には

「才捷剛猛、有諸兄之風」

つまり才気が鋭く剛猛で、兄たちのような気風を持っていたと記されています。百人余りの侍女が刀を手に仕え劉備はそこへ入るたびに内心恐れていたとも書かれています。

そして裴松之注引『趙雲別伝』では、孫夫人が劉禅を連れて呉へ帰ろうとし、趙雲と張飛が兵を率いて川を遮り、劉禅を取り戻したとされています。

ただし孫夫人本人が弓を使ったことも、戦場で戦ったことも、今回の史料からは確認できません。正史の孫夫人は「弓を持つ女武将」ではありません。しかし、だからといって地味な人物でもありません。

政治同盟によって劉備に嫁ぎ、武装侍女を百人以上も従え、劉備本人から警戒され、最後には劉禅を連れて呉へ帰ろうとしたと記録された女性です。

個人的には、創作で無理に「女武将」にしなくても、史料に残された姿だけで十分すぎるほど魅力的だと思います。むしろ彼女の本心がほとんど残っていないからこそ、

「孫夫人は本当は何を考えていたのだろう」と想像したくなる。その謎こそが、孫尚香という人物が今も人を惹きつける最大の理由なのかもしれません。

参考文献

  • 陳寿『三国志』巻三十二「蜀書二・先主伝」
  • 陳寿『三国志』巻三十七「蜀書七・龐統法正伝」法正伝
  • 裴松之注「法正伝」孫夫人に関する注釈
  • 陳寿『三国志』巻三十六「蜀書六・関張馬黄趙伝」趙雲伝
  • 裴松之注引『趙雲別伝』
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