戦国時代、日本が朝鮮半島へ攻め込んだ「文禄・慶長の役」。教科書などではあまり触れられませんが実は日本軍強すぎて連戦連勝で鬼島津など朝鮮各地で伝説作りまくり。しかしその中で、日本軍から「こいつだけはヤバい」と恐れられた男がいました。その名は李舜臣(イ・スンシン)。
韓国では今でも「救国の英雄」として超有名な存在です。韓国史の教科書界のレジェンドです。でもこの人、ただ強いだけじゃありません。
・上司に嫌われる
・嫉妬される
・左遷される
・牢屋送りにされる
・それでも国を救う
という、「主人公補正でも盛りすぎだろ」と言いたくなる人生を送っています。今回はそんな李舜臣を、できるだけわかりやすく紹介していきます。
■李舜臣とは?
李舜臣は1545年、李氏朝鮮で生まれた武将です。若い頃はエリート街道を爆走していた……わけではなく、むしろかなり苦労人。武官試験でも一度失敗。地方勤務も多く、地味な下積み生活を送っていました。しかし彼には、異常なまでの真面目さと責任感がありました。兵器管理も徹底。食料管理も徹底。訓練も徹底。
部下「提督、そこまでやります?」
李舜臣「やる。」
超ストイック。現代なら絶対「仕事できるけど怖い上司」です。
日本軍襲来!そして海の化け物誕生
1592年、豊臣秀吉が朝鮮へ侵攻。いわゆる文禄の役が始まります。
日本軍はめちゃくちゃ強かったため、一気に朝鮮半島に上陸さらに北上しました。
しかし。海で日本軍を止めた男がいた。それが李舜臣です。彼は朝鮮水軍を率いて、日本の補給路を徹底攻撃。輸送船をボコボコにしました。
日本軍「兵糧が来ないんだけど!?」
そりゃそう。海で李舜臣が暴れてるからです。
■亀甲船とかいうロマン兵器

李舜臣といえば有名なのが「亀甲船(きっこうせん)」。甲羅みたいな見た目の軍船で、敵船への突撃力が高かったと言われています。しかも砲撃戦に強い。
日本水軍「接近して白兵戦するぞ!」
亀甲船「その前に大砲ドーン」
日本水軍「聞いてない」
当時の日本水軍は接近戦が得意でしたが、李舜臣は距離を取った砲撃戦を徹底しました。つまり、「近づけない」「補給切られる」「海で負ける」という最悪コンボ。豊臣軍からしたら、かなり頭痛の種だったわけです。
■強すぎて味方に嫌われる
しかし李舜臣には大問題がありました。強すぎた。いや意味わからんと思うでしょうが、本当にこれなんです。朝鮮王朝では派閥争いが激しく、李舜臣は敵対勢力に妬まれていました。その結果――
まさかの逮捕。えぇ……。国を救ってる最中なのに?しかも拷問まで受けています。
朝鮮王朝「有能? よし潰そう」
現代のブラック企業でもここまでやらん。そして代わりに指揮を取ったのが元均(ウォン・ギュン)。しかしこの人、海戦があまり得意ではなく、日本軍相手に大敗。朝鮮水軍は壊滅寸前になります。
朝鮮王朝「やっぱ李舜臣戻して」
遅ぇよ!!

■12隻で戦う男
復帰した李舜臣に残されていた船。たった12隻。普通なら「もう無理です」で終わる状況です。しかし李舜臣は諦めません。鳴梁海戦で、日本の大艦隊を相手に奇跡の勝利を収めます。もう戦術が変態レベル。潮流を利用し、狭い海峡へ敵を誘い込み、各個撃破。
日本側「なんで12隻で勝てるんだよ!?」
たぶん本人も途中で「これ勝てるんだ……」って思ったはず。
最後まで戦場に立った提督
1598年、豊臣秀吉が死去。日本軍は撤退を開始します。その最終局面で起きた露梁海戦。李舜臣はここでも前線に立ち続けました。

そして戦闘中、流れ弾を受け致命傷。しかし彼は、「私の死を知らせるな」と命じ、最後まで戦意を維持させたと伝えられています。かっこよすぎる。韓国ドラマか?いや史実「らしい」です。
まとめ
李舜臣は、
・圧倒的戦術眼
・徹底した準備
・部下統率力
・異常な精神力
を兼ね備えた名将でした。しかも敵だけでなく、味方の政治闘争とも戦わなければならなかった人物です。正直、敵より味方の方が面倒だった説すらあります。それでも最後まで国を守るために戦い続けた李舜臣。だからこそ、今でも韓国で英雄として語り継がれているのでしょう。
参考資料・出典
- Wikipedia「李舜臣」
- Wikipedia「文禄・慶長の役」
- 甫庵太閤記
- 国立国会図書館
