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【近代】ロンドンを襲った“黒い津波”――1814年「ロンドンビール洪水事件」とは?

1814年10月17日、イギリス・ロンドンで前代未聞の大災害が発生しました。原因は火災でも戦争でもありません。

なんと――「ビール」です。

巨大醸造所の樽が爆発し、数十万リットル以上のビールが街へ流れ込み、多数の家屋を破壊。さらに死者まで出したこの事故は、後に「ロンドンビール洪水(London Beer Flood)」として歴史に名を残しました。


事件の舞台――19世紀ロンドン

19世紀初頭のロンドンは、世界最大級の都市へ成長しつつありました。産業革命によって人口は急増し、地方から大量の労働者が流入。しかし急激な都市化にインフラ整備が追いつかず、ロンドンには巨大な貧民街が形成されていました。特に事件現場となった「セント・ジャイルズ地区」は、当時のロンドンでも有数のスラム街として知られています。
狭い住宅に大勢が押し込められ、衛生状態も極めて悪かったと記録されています。


目次

当時のロンドン人にとってビールは“生活必需品”だった

現代では水道水を普通に飲めますが、19世紀初頭のロンドンでは事情が違いました。当時の水は汚染されていることが多く、安全性に問題がありました。そのため、比較的安全な飲み物としてビールが日常的に飲まれていたのです。

特に人気だったのが「ポーター(Porter)」と呼ばれる黒ビールでした。ポーターは労働者階級に愛されたビールであり、大量生産されていました。
イギリスのビール文化史を扱う文献でも、18〜19世紀ロンドンにおいてポーターが都市労働者の重要な飲料だったことが説明されています。


ホースシュー醸造所の巨大樽

事故が起きたのは、ロンドンの「ホースシュー醸造所(Horse Shoe Brewery)」でした。ここでは巨大な木製タンクを用いてポーターを熟成していました。
その樽は高さ約6〜7メートル級とも言われ、鉄製の輪(フープ)で固定されていました。現在の感覚なら「危険すぎるだろ」と思いますが、当時は大量生産のためにこうした巨大設備が一般化していたのです。実際、産業革命期のイギリスでは、

  • 巨大蒸気機関
  • 大型工場
  • 大量生産設備

などが急速に普及していました。


1814年10月17日――悲劇の始まり

1814年10月17日夕方、従業員は巨大タンクの鉄輪が外れていることに気づきました。しかし、鉄輪の緩みは珍しいことではなかったため、「後で直せばいい」と判断されます。ところが午後5時半頃、巨大タンクが突如として崩壊。中に入っていた大量のポーターが一気に噴出しました。

しかも衝撃で周囲の樽まで連鎖的に破壊され、最終的には50万〜140万リットル以上ものビールが流出したとされています。黒い濁流は醸造所の壁を突き破り、周辺住宅へ雪崩れ込みました。まさに“ビールの津波”でした。


地下室を襲ったビールの濁流

特に被害が大きかったのが、地下室住宅です当時の貧困層は、家賃の安い地下空間で生活していました。そこへ大量のビールが一気に流れ込んだのです。

当時の記録によれば、壁が崩壊し、人々が濁流に飲み込まれました。犠牲者は少なくとも8人。中でも有名なのが、幼児の通夜が行われていた家です。そこへビールが突入し、参列者たちが逃げ遅れて死亡したとされています。
また、少女や女性など複数の住民が命を落としました。


なぜ会社は責任を問われなかったのか?

現代なら、企業責任が厳しく追及されるでしょう。しかし当時の裁判では、この事故は「Act of God(神の意思)」、つまり不可抗力と判断されました。結果として、醸造会社は重大な刑事責任を問われませんでした。

これは現代人から見るとかなり驚きですが、19世紀初頭はまだ労働安全や企業責任の概念が未成熟だった時代です。産業革命期のイギリスでは、

  • 炭鉱事故
  • 工場火災
  • 機械事故

なども頻発していましたが、企業責任が曖昧なケースは少なくありませんでした。


「笑える珍事件」では終わらない理由

インターネット上では、「ビールに溺れるなんて漫画みたい」と軽く扱われることもあります。しかし実際には、この事故で犠牲になったのは主に貧困層でした。もし被害地域が富裕層地区だったなら、もっと大規模な社会問題になっていた可能性もあります。つまりこの事件は、

  • 産業革命の危険性
  • スラム街問題
  • 貧富格差
  • 労働者階級の脆弱さ

を象徴する歴史的事故でもあるのです。


ロンドンビール洪水が後世に与えた影響

この事件以降、巨大木製タンクの危険性が改めて認識されるようになりました。醸造技術は徐々に改良され、後には金属製設備への移行も進みます。また19世紀後半になると、イギリスでは工場法や労働環境改善が徐々に進展していきました。

ロンドンビール洪水そのものが直接法改正を引き起こしたわけではありません。
しかし、「産業化の危険」を示した象徴的事故の一つとして記憶されています。


参考資料・出典

  • Britannica Encyclopedia Online
  • Wikipedia「London Beer Flood」
  • ブリタニカ百科事典「ポーター」

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