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【近世】マーメイドとは何だったのかな?

『王の鏡』とポントピタン『ノルウェー博物誌』に見る人魚伝説

人魚と聞くと多くの人は美しい女性の上半身に魚の尾を持つ幻想的な存在を思い浮かべるかもしれません。童話、映画、ゲーム、イラストでは、だいたい美しく、神秘的で少し悲しい存在として描かれます。しかし、中世・近世の北方資料に出てくるマーメイドは現代のかわいい人魚とはかなり違います。

今回参考にするのは、13世紀ノルウェーの教訓書『王の鏡』と18世紀のエリク・ポントピタン『ノルウェー博物誌』です。『王の鏡』は父と子の対話形式で知識を語る中世ノルウェーの書物でグリーンランドの海の驚異としてマーマンやマーメイドを紹介します。現存英訳では同書が1217年から1260年ごろに成立した可能性が高いと説明されています。

一方、ポントピタン『ノルウェー博物誌』は1755年に英訳出版されたノルウェー自然史の本です。著者ポントピタンはベルゲン司教で、同書はノルウェーの自然、動植物、海の怪物まで扱っています。Biodiversity Heritage Libraryでも、同書が Erich Pontoppidan の著作で1755年にロンドンで出版された英訳書であることが確認できます。

ファンタジーとしての人魚ではなく、中世・近世の北方世界で「人魚らしきもの」がどのように語られていたのかを見ていきたいと思います。


目次

古代にも「海の人型怪物」はいた

人魚の話を始める前に、少しだけ古代の話をします。プリニウス『博物誌』第9巻にはTriton、Nereids、sea-man のような、海に住む人型の存在が登場します。たとえば、トリトンが貝を吹いていた、ネレイスが見られた、海の男が船に上がった、というような話です。

ただし、これはそのまま「マーメイドの直接記録」とは言いにくいです。プリニウスの記述は古代ローマ世界における「海にも人間に似た怪物がいる」という発想の一例です。つまり、ここで言えるのは古代にも、海に人間型の怪物がいるという考えは存在したという程度です。


『王の鏡』のマーメイドは、かわいい存在ではない

『王の鏡』ではグリーンランド周辺の海について語る章に、マーマンとマーメイドが登場します。

まずマーマンは、背が高く大きく、水面からまっすぐ立ち上がる存在として説明されます。肩、首、頭、目、口、鼻、顎は人間のようだが、手はなく、下に行くほど体が細くなる。そして下端が魚のヒレなのか、棒のように尖っているのかは誰も見ていないとされています。

ここで面白いのは、『王の鏡』の語り手が何でも断定していない点です。

  • 「誰もよく見ていない」
  • 「下がどうなっているかは不明」
  • 「鱗か人間の皮膚かも分からない」

かなり慎重です。そして次に、マーメイドが出てきます。

『王の鏡』のマーメイドは、腰から上は女性の形をしているとされます。胸、長い手、豊かな髪、首と頭は人間のよう。ただし、手の指は分かれておらず、水鳥の足のような膜でつながっているとされます。腰から下は、鱗、尾、ヒレを持つ魚の形です。これはかなり「典型的な人魚」に近い姿です。

しかし現代の人魚像と大きく違う点があります。それは、美しいというより不吉な存在として語られていることです。

『王の鏡』では、マーメイドは激しい嵐の前に現れることが多いとされます。しかも手に魚を持って現れ、その魚を船の方へ投げたり、船に向かって遊んだりすると船員たちは大きな死者が出ることを恐れました。逆に魚を食べたり船から離れた方へ投げたりすると、嵐に遭っても命は助かると考えられました。

つまり『王の鏡』の人魚は恋をする美少女ではありません。海難の前兆を示す怪異です。かわいいどころか、船乗りからしたら「出たら終わりかもしれない存在」です。現代のマーメイドとだいぶ違いますね。


『王の鏡』は本当に信じていたのか

『王の鏡』の面白さは単なる怪談集ではないところです。この本は、王や商人に必要な知識を父が息子に教える形式の教訓書です。Project Gutenberg版の解説でも、『王の鏡』はサガのような物語文学ではなく、読者を教えるための実用的・教訓的な書物だと説明されています。

また同書の解説ではグリーンランドの章には土地、氷原、産物、野生動物、経済生活など実用的な情報も含まれ、同時にマーマン、マーメイド、クラーケンのような驚異も語られるとされています。つまり『王の鏡』では現実の自然情報と怪異伝承が同じ章に混ざっています。

ここが中世資料の難しいところです。アザラシやセイウチ、氷山のように現実に存在するものとマーメイドのような怪異が同じ「海の驚異」として並べられる。現代人から見ると分類が違いますが当時の知識体系では「海で語られる不思議なもの」としてまとめられていたのでしょう。


ポントピタンの人魚はより「博物学」っぽい

次に、18世紀のポントピタン『ノルウェー博物誌』です。ポントピタンはノルウェー沿岸の海の怪物を語る章で、Hav-Manden、つまりマーマンを最初に取り上げます。そしてその伴侶が Hav-Fruen、つまりマーメイドだと説明しています。

ただし、ポントピタンは最初から全てを信じているわけではありません。

彼は、マーマンやマーメイドの話には、歌を歌う、予言する、人間と会話する、といった寓話的な話が混ざっているため、疑われても仕方ないと述べています。特にマーメイドが美しい声で歌うとか、予言するといった話は、理性的な人々が信じなくなる原因だとしています。

ここはかなり重要です。ポントピタンは「人魚の話は全部本当だ」と雑に言っているわけではありません。彼の立場は寓話や作り話は疑う。しかし、信頼できる目撃証言があるなら、存在そのものまで否定する必要はないというものです。

もちろん現代の基準ではかなり甘いです。ですが、18世紀の自然史の文脈では、「伝聞を集め、証言を比較し、自然界の類似から可能性を考える」という方法で理解しようとしていたわけです。


ファロー諸島のマーメイド目撃談

ポントピタンはファロー諸島でマーメイドが見られたというルーカス・デベスの記述を引用しています。

それによると、1670年、ファロー諸島のクヴァルボー・アイデの西側で、多くの住民や周辺地域の人々が、岸近くにマーメイドを見たとされます。そのマーメイドは水中にへそまで立ち、長い髪が水面に垂れ、右手に魚を持っていたと記されています。これは『王の鏡』のマーメイドとかなり似ています。

『王の鏡』でも、マーメイドは魚を手に持って現れます。しかも、その魚をどう扱うかで船乗りたちが吉凶を判断していました。ポントピタンの引用でも、魚を持つマーメイドが出てくる。ここは偶然ではなく、北大西洋世界に共通する「海の女怪が魚を持って現れる」というイメージがあった可能性があります。ただし、ここで断定してはいけません。

これはあくまで資料上の共通点です。実在の同一生物を見た証拠ではありません。


人魚は美しいのか、恐ろしいのか

現代の人魚は、美しいイメージが強いです。しかし『王の鏡』のマーメイドは、かなり恐ろしい顔をしています。大きく恐ろしい顔、傾いた額、広い眉、大きな口、しわの寄った頬と説明されています。

ポントピタンの資料でも、マーマンは老人のように見えた、黒い短い巻き毛、深く落ちくぼんだ目、黒いひげ、粗く毛深い皮膚を持っていた、という証言が紹介されます。さらに、同じ証人が以前に長い髪と大きな胸を持つマーメイドを見たとも語っています。つまり、北方資料のマーメイドは、必ずしも「絶世の美女」ではありません。

むしろ、船乗りにとっては、海の異常、嵐、死、予兆と結びつく存在でした。「マーメイド=美しい恋愛対象」というより、マーメイド=海が人間に見せる不吉なサインという方が近いです。

これはかなり面白い変化です。同じ人魚でも、時代や地域によって役割が違う。童話の人魚は恋をしますが、『王の鏡』の人魚は死を予告します。ポントピタンの人魚は、自然史の対象として、目撃証言を集められる存在です。


マーメイドの正体は何だったのか

では、これらのマーメイドは何だったのでしょうか。断定はできません。

『王の鏡』では、マーメイドの姿はかなり具体的ですが、実物を捕獲して調べたわけではありません。ポントピタンも、証言を集めてはいますが、現代科学的に確認された標本を示しているわけではありません。

候補としては、アザラシ、セイウチ、イルカ、クジラ類、あるいは未知の漂着生物の誤認などが考えられます。特にポントピタン自身も、マーマンを「Sea-apes」と呼んだ方がよいかもしれないと述べ、既知の海獣との比較で説明しようとしています。

また、ブリタニカの1911年版は、ポントピタンが人魚の存在を証明しようとして多くの材料を集めたとしつつ、その態度をかなり信じやすいものとして扱っています。

人魚は実在した、と断定することはできない。
しかし、中世・近世の北方世界では、海の怪異、嵐の前兆、あるいは未知の海獣として、人魚がかなり具体的に語られていた。と考えるのが妥当なところでしょう。


まとめ:人魚は「海のロマン」ではなく「海の恐怖」だった

『王の鏡』とポントピタン『ノルウェー博物誌』を読むと、人魚の印象がかなり変わります。現代のマーメイドは、美しい、悲しい、幻想的、かわいい。しかし北方資料に出てくるマーメイドは、もっと不気味です。

  • 腰から上は女性。
  • 腰から下は魚。
  • 手には魚。
  • 現れるのは嵐の前。
  • 船に向かえば死の予兆。
  • 離れれば助かるかもしれない。

これはもう、恋愛対象ではなく、完全に海難ホラーです。

ポントピタンの時代になると、そうした伝承は博物学の中に取り込まれます。彼は寓話を疑いながらも、証言があるなら存在を否定しきれないと考えました。そこには、現代科学とは違うものの、当時なりに「海の未知」を整理しようとする姿勢が見えます。

人魚は、ただの空想だったのか。それとも、何らかの海獣の誤認だったのか。あるいは、船乗りたちが荒れ狂う北の海に見た、不安と恐怖の象徴だったのか。答えは不明です。

ただ少なくとも、『王の鏡』と『ノルウェー博物誌』に出てくるマーメイドは、現代のかわいい人魚とは別物です。そこにいるのは、北大西洋の暗い海から現れ、船乗りに嵐と死を知らせる、かなり恐ろしい海の怪異でした。

「人魚ってロマンチックだよね」と思って読み始めると思ったより顔が怖い、出てきたら船が沈みそうだしで、だいぶ話が違います。でもだからこそ面白い。人魚とは、人間が海に抱いた憧れだけでなく、恐怖そのものでもあったのです。


最後に

もし自分が船乗りだったら、この人魚はまったくロマンチックには見えないと思います。暗い海で嵐の気配が迫る中、波間から半分人間のようなものが現れ、手にした魚を船へ向ける。そんな場面に遭遇したら、美しいかどうか以前に「これは助からない合図ではないか」と凍りつくはずです。人魚伝説の怖さは、怪物そのものより、逃げ場のない海で“死の前触れ”として現れるところにある気がします。

↓他の海の恐怖たち↓

参考資料・出典

  • 『王の鏡』
  • エリク・ポントピタン『ノルウェー博物誌』
  • プリニウス『博物誌』第9巻
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