MENU

【三国志】関羽は本当に青龍偃月刀を使っていたのか?正史と演義から考察

 実は「後世のロマン武器」説がかなり強い

三国志ファンなら、関羽と聞いてすぐに思い浮かべるものがあるでしょう。

赤い顔。
長い髭。
赤兎馬。
そして巨大な青龍偃月刀。

長い柄に大きく湾曲した刃を持つこの武器は今では関羽の象徴のように扱われています。ゲームや漫画、ドラマでも、関羽が青龍偃月刀を持っていないと逆に違和感があるほどです。しかし歴史資料を確認すると少し様子が違います。

関羽が実際に青龍偃月刀を使っていたと断定できるのか。
結論から言えばかなり慎重に見る必要があります。

正史『三国志』の関羽伝には、関羽が青龍偃月刀を使ったとは書かれていません。一方、後世の小説『三国志演義』には関羽が青龍偃月刀を作ったという記述がはっきり出てきます。つまり青龍偃月刀は「正史の関羽」ではなく「演義の関羽」を象徴する武器として考える方が安全です。

今回は陳寿『三国志』蜀書「関羽張飛馬超黄忠趙雲伝」、小説『三国志演義』を中心に関羽と青龍偃月刀の関係を整理していきます。

目次

そもそも青龍偃月刀とは?

青龍偃月刀とは『三国志演義』で関羽の武器として登場する長柄の大刀です。

『三国志演義』では劉備・関羽・張飛が挙兵の準備をする場面で張世平・蘇双という商人から馬や金銀、鉄が提供されます。その後、劉備は双股剣を作り張飛は丈八点鋼矛を作ります。そして関羽については次のように書かれています。

雲長造青龍偃月刀,又名『冷艷鋸』,重八十二斤

関羽は青龍偃月刀を作り別名を「冷艶鋸」といい重さは八十二斤だった、という内容です。

ここではっきり分かるのは青龍偃月刀が『三国志演義』の中では関羽の武器として明記されていることです。ただし、これはあくまで小説の記述です。『三国志演義』は歴史をもとにした作品ですが正史そのものではありません。したがって、この記述だけで「歴史上の関羽が青龍偃月刀を使っていた」とは分かりません。

正史『三国志』関羽伝には青龍偃月刀が出てこない

では関羽についての基本資料である正史『三国志』ではどうでしょうか。

陳寿『三国志』巻三十六、蜀書六「関羽張飛馬超黄忠趙雲伝」には、関羽の出自、劉備との関係、曹操に捕らえられた後の待遇、顔良討伐、荊州での活動、樊城攻め、そして最期までが記録されています。

しかしそこに「青龍偃月刀」という武器名は出てきません。特に重要なのが顔良を討つ場面です。ここは関羽の武勇を示す有名な場面ですが、正史では次のような内容になっています。

関羽は顔良の旗印を遠くに見つけ馬を走らせ大軍の中で顔良を刺しその首を斬って帰った。袁紹の諸将は誰も関羽を防げなかった、という記述です。

ここで使われている表現は「刺す」「首を斬る」です。武器名は書かれていません。

その為、正史から言えるのは

関羽が顔良を討ったことは記録されている。ただしその時に使った武器名は不明。青龍偃月刀とは書かれていない。

というところまでです。

ここはかなり大事です。「関羽が顔良を討った」は正史にある。「青龍偃月刀で顔良を討った」は正史には確認できない。

この二つを混ぜると正史と演義がごちゃ混ぜになります。

正史の関羽は十分すごい

青龍偃月刀が出てこないからといって正史の関羽が地味になるわけではありません。

むしろ正史の関羽は普通に強いです。顔良を大軍の中で討ち取る場面はかなり異常な武功として描かれています。袁紹軍の諸将が防げなかったという記述からも、関羽の突破力や武名の高さがうかがえます。

さらに樊城攻めでは関羽は曹仁を攻め、于禁の七軍を水害の中で降伏させ、龐徳を斬ります。この時、梁・郟・陸渾の群盗までが関羽の印号を受け、関羽の威勢は華夏を震わせたと記録されています。

正史の関羽は巨大な青龍偃月刀がなくても十分に強い人物として描かれています。

しかし正史は関羽の武器を細かく語ってくれません。そこが後世の想像を広げる余地になったのでしょう。

ではなぜ関羽=青龍偃月刀になったのか?

大きな理由は『三国志演義』の影響と考えてよいでしょう。『三国志演義』では関羽の外見も非常に印象的に描かれます。

  • 身長九尺。
  • 髯の長さ二尺。
  • 顔は重棗のよう。
  • 唇は脂を塗ったよう。
  • 丹鳳眼、臥蚕眉。
  • 堂々たる風貌。

その直後に青龍偃月刀を作ったという話が出てきます。これはもう完全にヒーロー登場シーンです。

正史の関羽は武功と忠義の人物です。演義の関羽は、そこに見た目の迫力、巨大武器、一騎討ちのロマンが加えられた英雄です。

読者にとって分かりやすいのは当然後者です。「強い武将です」と説明するよりも、「巨大な青龍偃月刀を持つ赤顔長髯の武神です」と描いた方が一発で印象に残ります。その結果、関羽と青龍偃月刀は切り離せないイメージになっていったのでしょう。

『三国志演義』の中では青龍偃月刀は関羽の象徴になる

『三国志演義』では関羽は青龍偃月刀を作っただけではありません。実際に戦場で大刀を振るう場面も描かれます。

たとえば黄巾賊の将・程遠志に対して関羽が大刀を舞わせて馬を進め、相手を斬る場面があります。

もちろんこれも演義の物語として読むべきです。しかし演義世界においては関羽の武器は明確に「大刀」として描かれています。ここから青龍偃月刀は単なる小道具ではなく関羽というキャラクターを形作る重要な要素になっていることが分かります。

  • 劉備には双股剣。
  • 張飛には丈八点鋼矛。
  • 関羽には青龍偃月刀。

このように三兄弟それぞれに象徴武器を与えることで演義は人物像を非常に分かりやすくしています。

正史では武器名が分からない。演義では青龍偃月刀と明記される。この差が、歴史と物語の違いです。

『武備志』

では偃月刀という武器そのものはどのように見ればよいのでしょうか。ここで資料として使えるのが明代の兵書『武備志』です。

『武備志』巻百三の「刀」の項目では茅元儀が武経に見える刀は八種あるが、当時用いられるものは四種であると述べ、その一つとして偃月刀を挙げています。そして偃月刀について次のように説明しています。「偃月刀は、これを操習して勇壮さを示すためのもので、実際には陣中で用いるべきではない

という趣旨です。これは非常に面白い記述です。

『武備志』は関羽の時代の資料ではありません。明代の兵書なので三国時代からはかなり後の資料です。そのため、『武備志』を使って「関羽が青龍偃月刀を使った」とは言えません。

しかし偃月刀という武器形式が少なくとも明代の兵書では「実戦向きというより、操練や威容を示す武器」と説明されていることは重要です。つまり青龍偃月刀を考える時には

  • 正史では関羽の武器名は不明。
  • 演義では青龍偃月刀が関羽の武器として登場。
  • 武備志では偃月刀は実戦より操練・威容向きとされる。

という三段階で整理できます。

関羽は後世に神格化された

関羽は後世に非常に強く崇敬された人物です。

正史でも関羽は武勇と義を持つ人物として描かれています。曹操に厚遇されながらも劉備への恩義を忘れず、顔良を討って曹操に報いた後、劉備のもとへ戻る姿はまさに義の人物として読めます。

このような正史上の関羽像が後世の物語や信仰の中でさらに大きくなっていきました。その過程で関羽には分かりやすい象徴が必要になります。

  • 赤い顔。
  • 長い髭。
  • 堂々たる風貌。
  • そして青龍偃月刀

これらは関羽をただの武将ではなく武神のような存在として見せるために非常に効果的でした。正直、普通の槍を持った関羽より、巨大な青龍偃月刀を持った関羽の方が見た目の説得力があります。

「この人、絶対強いだろ」

と一目で分かる。青龍偃月刀は関羽の強さと威厳を視覚化するための最高のアイテムだったのかもしれません。

そもそも実戦向きなのか問題

『三国志演義』では青龍偃月刀は重さ八十二斤とされます。

この数字をどう現代換算するかは度量衡の問題があるためここでは細かく断定しません。しかし物語上でも非常に重い武器として描かれていることは確かです。

さらに『武備志』では偃月刀は操練で勇壮さを示すためのもので、実際には陣中で用いるべきではないと説明されています。

この記述を合わせると青龍偃月刀は少なくとも後世には「実用一点張りの武器」というより「見栄え・威容・演武性のある武器」として理解されていた可能性があります。

もちろん、これだけで関羽の時代の武器事情をすべて語ることはできません。しかし演義の巨大な青龍偃月刀をそのまま史実の戦場に持ち込むのは危険です。

正史の関羽は強い。演義の関羽はもっと派手。青龍偃月刀は、その派手さを支える象徴的な武器。このくらいに考えるのがよいでしょう。

結論:関羽の青龍偃月刀は「正史」より「演義」の武器

ここまでを整理します。

資料青龍偃月刀
正史『三国志(蜀書)』ほぼ出てこない
三国時代の実物武器存在怪しい
『三国志演義』関羽の象徴
『通俗三國志』明確に登場
後世創作完全に定着

正史『三国志』関羽伝には関羽の武功は記録されています。顔良を討ったこと、樊城で曹仁を攻め于禁を降し、龐徳を斬ったことなど関羽の軍事的活躍は十分に確認できます。

しかしそこに青龍偃月刀という武器名は出てきません。一方、『三国志演義』には関羽が青龍偃月刀を作り、別名を冷艶鋸、重さを八十二斤とする記述がはっきりあります。

さらに『武備志』では偃月刀は操練で勇壮さを示すためのもので実際には陣中で用いるべきではないとされています。つまり関羽と青龍偃月刀の関係は次のように見るのが良いでしょう。

  • 正史の関羽は青龍偃月刀を使ったとは確認できない。
  • 演義の関羽は青龍偃月刀を象徴武器として持つ。
  • 武備志を見ると偃月刀は実戦より操練・威容向きの武器と説明されている。

そのため関羽が歴史上本当に青龍偃月刀を使っていたと断定するのは難しいです。ただし後世では青龍偃月刀が関羽の魅力を大きく高めたことは間違いないでしょう。

正史の関羽は忠義と武勇の名将。
演義の関羽はそこに巨大な武器と神格化された威厳をまとった英雄。

どちらが本物かというより正史と演義で役割が違うのです。

歴史資料として見るなら、青龍偃月刀は慎重に扱うべきです。しかし物語の象徴として見るならこれほど関羽に似合う武器もありません。

関羽が本当に青龍偃月刀を振るったかは分かりません。けれど後世の人々が「関羽にはこの武器しかない」と思うほど、彼を大きな英雄として愛したことは伝わってきます。

そう考えると青龍偃月刀は史実の武器というより関羽という人物が後世でどれほど巨大な存在になったかを示す、最高のロマン武器だったのかもしれません。

参考資料・出典

  • 茅元儀『武備志』巻百三「軍資乗・器械二・刀」
  • 陳寿『三国志』巻三十六・蜀書六「関羽張飛馬超黄忠趙雲伝」
  • 羅貫中『三国志演義』第一回

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次