歴史には、戦争や革命のような大事件だけでなく、「本当にそんなことが起きたのか?」と思ってしまう奇妙な出来事もあります。その代表例の一つが、1518年にストラスブールで起きたとされる「踊りの疫病」です。
英語では Dancing Plague、または Dancing Mania と呼ばれます。日本語では「踊り病」「舞踏病」「ダンシングマニア」などと訳されることがあります。この事件では、多くの人々が突然踊り始め、何日も踊り続けたと伝えられています。しかも楽しそうな踊りではありません。記録や後世の年代記によれば、彼らは汗まみれになり、足を腫らし、血を流しながらも踊り続けたとされます。ゾンビかな?
もはや祭りではなく完全にホラーです。
すべては一人の女性から始まった?
1518年7月、ストラスブールの通りで、フラウ・トロフェアという女性が突然踊り始めたと伝えられています。彼女には音楽の伴奏もなかったようです。ただ、石畳の通りで踊り始めた。夫がやめるよう頼んでも、彼女は踊り続けたとされます。その踊りは数時間で終わりませんでした。疲労で倒れても、翌朝にはまた腫れた足で立ち上がり、踊り始めたといいます。
この時点で十分に異常ですが、さらに奇妙なのは、周囲の人々まで彼女をまねるように踊り始めたことです。数日のうちに踊る人は増え、やがて30人以上が踊り続ける状態になったとされます。さらにイムリン家の年代記では一か月以内に400人の市民がこの「疫病」に捕らえられたと伝えられています。
ただし、人数については注意が必要です。こうした数字は年代記や後世の記録を通じて伝わるものであり現代の統計記録のように正確な人数を示しているとは限りません。それでも当時の人々が「多くの市民が異常な踊りに巻き込まれた」と認識していたことは読み取れます。
当時の人々はどう考えたのか?
現代人なら精神的ストレスや集団心理あるいは何らかの病気を疑うかもしれません。しかし16世紀の人々はそう単純には考えませんでした。当時、この現象は聖ヴィートと結びつけられました。
聖ヴィートは、中世後期には踊りや病気と関係づけられる聖人でした。Britannica でも、St. Vitus’ dance という名称が中世後期に由来し、人々が治癒を求めて聖ヴィートの礼拝堂へ向かったことが説明されています。つまり当時の人々にとって、この踊りは単なる体の異常ではなく、聖人の怒りや呪いのようなものとして理解される余地があったのです。
「突然踊り狂う人が増える」などという現象を見せられたら悪霊か呪いだと思うのも当時の世界観では無理もなかったのかもしれません。当時どころかいまでもそう思うかもしれませんし。
医師たちの判断が逆効果だった?
ストラスブールの当局は、この事態をどうにかしようとしました。
聖職者たちは聖ヴィートの怒りと考えたようですが、市の参事会は医師たちの意見を採用します。医師たちは、この踊りを「過熱した血」による自然の病だと判断したとされます。ここで普通なら瀉血(血を抜く)などを考えそうですが、医師たちは別の治療法を勧めました。
それは、踊らせ続けることです。
「踊りたい病なら、踊り切れば治るだろう」という理屈だったのでしょうか。現代人から見ると「そうはならんやろ」と言いたくなります。当局は大工や職人に命じて、ギルド会館を臨時の舞踏場にしました。さらに馬市場や穀物市場に舞台を設け、楽師を雇い、太鼓、笛、フィドル、角笛を演奏させました。健康な踊り手まで用意して、患者たちを踊らせ続けたといいます。
しかし、この対応は裏目に出ました。
見物人の多くは、この狂乱を聖ヴィートの怒りの表れと見ました。そして、その恐怖や暗示がさらに人々を巻き込んだ可能性があります。治療のための舞台が逆に踊りの疫病を広げる装置になってしまったのです。言うて瀉血やったとしても事態は変わりませんが。
やがて踊りは禁止された
状況が悪化すると、当局は方針を変えます。
舞台は取り壊され、市内では踊りや音楽の多くが禁止されました。これは当時の文化においてかなり大きな措置でした。というのも、中世から近世のヨーロッパでは、共同体の踊りや音楽は祭礼や結婚式などに深く関わっていたからです。それでも当局は、踊りの拡大を抑えるために音楽と踊りを制限しました。
さらに、症状の重い人々は荷車に乗せられ、聖ヴィートの聖堂があるサヴェルヌへ送られました。そこで司祭たちは患者たちに小さな十字架を持たせ、赤い靴を履かせ、聖水と聖油を用いた儀式を行ったとされます。この儀式の後、症状は収まっていったと伝えられています。
ただし、これを「宗教儀式が医学的に治した」と断定することはできません。むしろ、当時の人々が聖ヴィートの呪いを信じていたなら、その聖人に許されたという感覚が心理的に大きな効果を持った可能性があります。
死者は本当に出たのか?
1518年の踊りの疫病では、最盛期に一日15人が死んだとも伝えられています。
もしこれが事実なら、死者は数百人に及んだ可能性があります。ただし、この数字も慎重に扱う必要があります。年代記の記述には誇張や後世の脚色が混じる可能性があるためです。確実に言えるのは、当時の記録や後世の年代記の中で、この事件が単なる笑い話ではなく、深刻で恐ろしい出来事として扱われていたことです。
「踊り疲れて死ぬ」という言葉だけを見ると奇妙ですが、実際には疲労、脱水、足の損傷、精神的混乱などが重なった危険な状態だったと考えられます。

原因は何だったのか?
この事件の原因は現在でもはっきりとは分かっていません。
有名な説の一つに麦角菌中毒説があるようです。麦角は湿ったライ麦に発生するカビで、幻覚や痙攣を引き起こすことがあります。そのため、汚染されたパンを食べた人々が異常行動を起こしたのではないか、という説明です。
しかし、この説には問題があります。麦角中毒は幻覚や痙攣を起こす可能性がありますが、同時に血流障害なども引き起こすらしいです。そうした状態の人が何日も踊り続けることができるのか、という疑問が残るのです。
歴史家ジョン・ウォーラーは、麦角説よりも集団心理・集団ヒステリーに近い説明を重視しています。1518年のストラスブール周辺では、不作、飢え、政治的不安、病気などが重なっていました。さらに人々は、聖ヴィートの怒りによって踊らされるという考えを知っていました。
つまり、人々は強い不安と恐怖の中で、「踊りの呪い」が起こり得ると信じていた。その信念が、集団的なトランス状態や異常行動を生み出した可能性があります。これは現代の感覚では理解しにくいですが、人間は極度のストレスと強い暗示の中で理性では説明しにくい行動を取ることがあります。
ダンシングマニアは何を示しているのか?
1518年の踊りの疫病は、単なる珍事件ではありません。そこには当時の医学、宗教、社会不安、集団心理が複雑に絡んでいます(説)。
事実として、多くの記録がストラスブールで異常な踊りの流行があったことを伝えています。当時の解釈として、人々はこれを聖ヴィートの怒りや、過熱した血による病として理解しようとしました。
現代の解釈としては、麦角中毒説もありますが、強い社会不安と信仰が生んだ集団的な心理現象と見る説が有力です。つまりダンシングマニアとは、「人々がなぜか踊った不思議な事件」というだけではありません。恐怖が共有されると、人間の体と心はどこまで動かされてしまうのか。その怖さを示す事件でもあるのです。
現代でも、デマや不安、集団パニックは一気に広がることがあります。1518年のストラスブールの人々を、単純に「昔の人は迷信深かった」と笑うことはできません。
時代は違っても、人間は不安に感染する生き物です。ダンシングマニアとは、踊りの形をした集団不安だったのかもしれません。私もストレスで踊りたくなる時がありますし(笑)!
参考資料・出典
- Ned Pennant-Rea, “The Dancing Plague of 1518,” Public Domain Review, 2018.
- Encyclopaedia Britannica, “Dancing plague of 1518.”
- Encyclopaedia Britannica, “Sydenham chorea.”
- Encyclopaedia Britannica, “Chorea.”
- Encyclopaedia Britannica, “St. Vitus’ dance.”
