はじめに
歴史上には英雄が栄光の絶頂から一転して敗北し、そのまま命を落とす戦いが存在します。その代表例として挙げられるのが、1430年の「コンピエーニュ包囲戦」と220年頃の「麦城の戦い」です。一見すると、フランスの英雄ジャンヌ・ダルクと、中国三国志の名将関羽には接点がないように見えます。しかし両者の最期を比較すると、驚くほど多くの共通点が見えてきます。今回は、コンピエーニュ包囲戦と麦城の戦いを比較しながら、二人の英雄がなぜ破滅へ向かったのかを解説します。
二つの似ている戦い
コンピエーニュ包囲戦とは?
1430年、百年戦争の最中、ジャンヌ・ダルクはフランス北部の都市コンピエーニュ防衛のため出陣しました。当時のフランスはオルレアン解放やシャルル7世の戴冠によって勢いを取り戻していましたが、依然としてイングランドとブルゴーニュ派の脅威は残っていました。ジャンヌは城外へ出撃して敵を攻撃しますが、反撃を受けて撤退を余儀なくされます。その際、城門が閉じられたことで退路を失い、ブルゴーニュ軍に捕らえられてしまいました。
「えっ!?国を救った英雄を置いて城門閉めるの!?」
ジャンヌはその後、イングランド側へ売り渡され、異端審問を経て1431年に処刑されます。
麦城の戦いとは?
220年頃、関羽は荊州を巡る戦いの中で窮地に追い込まれていました。関羽は樊城攻略で大戦果を挙げますが、その隙を突かれます。呉の将軍呂蒙が荊州を奇襲し、関羽の本拠地を次々と占領しました。補給線を断たれた関羽は麦城へ撤退します。しかし援軍は来ず、兵士たちも次第に離反していきます。最終的に関羽は包囲網を突破しようとしますが失敗し、呉軍に捕らえられて処刑されました。
劉備軍最強クラスの武将なのに味方に裏切られた上に援軍が来ないとは……。
共通点
共通点① 栄光の絶頂からの転落
ジャンヌも関羽も敗北する直前までは英雄として絶大な名声を誇っていました。
ジャンヌ
- オルレアン解放の立役者
- シャルル7世戴冠の功労者
- フランス国民の希望

関羽
- 劉備軍の重鎮
- 樊城攻略で曹操を震え上がらせる
- 「万人敵」と称された名将
どちらも歴史に名を残す英雄でした。しかし絶頂期の直後に捕虜となり、処刑されています。

共通点② 味方から十分な支援を受けられなかった
両者の悲劇で最も語られるのがこれです。
ジャンヌの場合
コンピエーニュでは撤退戦で殿をつとめたジャンヌでしたが城の門を味方に閉めれてしまいます→逃げ場を失う。捕縛後もシャルル7世はジャンヌ救出のため大規模な行動を起こしませんでした(戦略のズレがあったと言われている。)。身代金交渉や軍事行動も限定的だったと考えられています。
関羽の場合
樊城攻略中に味方のビホウ、博士人に裏切られます→逃げ場を失う。その後劉備軍は関羽救援に成功できませんでした。また、関羽自身も孫権との関係悪化を招いており、孤立を深めていました。
共通点③ 捕虜となった後に処刑された
戦死ではなく、捕らえられた後に命を落とした点も共通しています。
ジャンヌ
- 捕虜となる
- 異端審問
- 火刑

関羽
- 捕虜となる
- 降伏を拒否
- 斬首
どちらも敵から見れば極めて危険な象徴的存在でした。
生かしておくよりも処刑する方が政治的に有利だったのです。

共通点④ 後世での評価
ジャンヌ
後に名誉回復され、聖人として列聖されました。現在ではフランス最大級の国民的英雄です。
関羽
中国では神格化され、武神として信仰される存在になりました。商売繁盛や忠義の象徴としても広く崇拝されています。
どちらも死後の評価が生前を上回っています。むしろ亡くなってからの方が人気が爆発しています。
相違点①敗因の性質
ジャンヌ
政治的要因が大きい。フランス王権とブルゴーニュ派、イングランドの複雑な外交関係に翻弄されました。
関羽
軍事的要因が大きい。呂蒙の奇襲や補給線の遮断、戦略的孤立が直接の敗因となりました。
相違点②性別
名前だけでは性別の違いが判らない人のためにイメージイラストを掲載しておきましょう。でもこの記事読むような人ならわかるか(笑)

まとめ
コンピエーニュ包囲戦と麦城の戦いは、時代も地域も異なる戦いです。しかし
- 国を代表する英雄だった
- 絶頂期から急転直下で敗北した
- 味方の支援が不十分だった
- 捕虜となり処刑された
- 死後に神話的存在となった

という共通点があります。ジャンヌ・ダルクと関羽は、まさに「勝利の象徴から悲劇の英雄へ」と転じた歴史上屈指の人物と言えるでしょう。もし三国志ファンがジャンヌの最期を説明するなら、「フランス版関羽が麦城で捕まったようなもの」と言えば、その悲劇性が伝わるかもしれません。そしてなんか死んだ後に神格化するって言うのが不思議ですね。二人とも好戦的な印象があり地盤固めをおろそかにしすぎたのかもしれません。
参考資料・出典
- Wikipedia「ジャンヌダルク」
- 英語版Wikipedia「Joan of arc」
- Britannica「Joan of arc」
- Wikipediaコンピエーニュ包囲戦
- 樊城の戦い
- 麦城の戦い
- 国立国会図書館
- 三国志「陳寿」「関羽伝」
- 通説三国志

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