「伝説の聖女」
こんにちは。今回は、ジャンヌ・ダルクを「伝説の聖女」としてではなく、裁判記録と手紙から見える人物として見ていきます。
ジャンヌといえば神の声を聞き、オルレアンを救い、シャルル7世を戴冠へ導いた少女として有名です。しかしその人生を語る時に注意したいのは後世の伝説や美談がかなり多いことです。
そこで本記事では百科事典やWikipediaではなく、Fordham University の Internet Medieval Sourcebook に掲載されている W. P. Barrett 英訳版『The Trial of Jeanne d’Arc』とジャンヌの手紙資料を中心に考察してみます。Fordham掲載の裁判記録英訳は、原ラテン語・フランス語文書から英訳された1932年刊行の資料です。
ただし裁判記録も「その場の音声記録」ではありません。もともとのフランス語議事録をもとにラテン語版が作られ、写本として伝わったものです。Fordham掲載ページでも現存写本は認証写本でありフランス語議事録そのものは失われたと説明されています。即ち、かなり重要な史料ではありますが、読む側も「裁判所側が作った記録である」という点は忘れない方がよいでしょう。
ジャンヌは「神の声」をどう語ったのか
ジャンヌは裁判で自分が13歳頃に初めて声を聞いたと語っています。裁判記録ではその声は神から来たものだと彼女が信じていたこと、声には光が伴うことがあったこと、後には聖ミカエル、聖カタリナ、聖マルガリタの導きとして説明していたことが確認できます。
ここで大切なのは現代人の感覚で「本当に天使だったのか」「幻覚だったのか」とすぐ断定しないことです。断定できるのはジャンヌ自身が裁判で「自分は神の命令に従って行動した」と一貫して語ったことです。
裁判官たちはこの「声」を異端や悪魔的なものとして追及しようとしました。しかしジャンヌは自分の行動は神の命令によるものだと主張し続けました。

シノンへ向かう前に送った手紙
ジャンヌは王太子シャルルに会う前にサント=カトリーヌ=ド=フィエルボワから手紙を送ったと裁判で証言しています。裁判記録によればその手紙では、王のいる町へ入ってよいかを尋ね自分が王を助けるために遠くから来たこと、そして王を他の人々の中から見分けられるだろうという内容だったとされています。
ただしこの手紙そのものは現存していないようです。ただこの証言は面白いです。ジャンヌはただ勢いで王のもとへ突撃したわけではなく、事前に手紙を送り、自分の使命を伝えようとしていたことがわかります。
サント=カトリーヌの剣
ジャンヌの有名な逸話に、サント=カトリーヌ=ド=フィエルボワの教会で見つかった剣があります。
裁判記録によればジャンヌはトゥールまたはシノンにいた時、サント=カトリーヌ=ド=フィエルボワの教会にある剣を求めました。彼女はその剣が地中にあり、錆びていて、五つの十字があったと語っています。そして、その場所を知ったのは「声」によるものだったと説明しました。
ただし注意が必要です。なぜなら断定できるのは
・ジャンヌが裁判でそう語ったこと
・教会関係者へ剣を求める手紙を書いたと述べたこと
・剣が見つかったと裁判記録に記されていること
です。一方で剣が本当に奇跡的に見つかったのか、事前に誰かが知っていたのか、正確な場所が祭壇の前だったのか後ろだったのかは、断定しない方がよいでしょう。ジャンヌ自身も、祭壇の前か後ろかについては完全には言い切っていないようですから。
イングランド軍への強烈な手紙
ジャンヌの手紙で特に重要なのが、1429年3月22日付のイングランド軍宛て書簡です。これはオルレアンのイングランド軍指揮官たちへ送られた最初の手紙として紹介されています。
この手紙でジャンヌはイングランド王、ベッドフォード公、サフォーク伯、タルボット、スケールズらに対しフランスから退去するよう求めました。彼女はシャルルこそ正統な王であり、イングランド軍が従わないなら武力で追い払うという強い姿勢を示しています。ここで見えるジャンヌはただの「優しい聖女」ではありません。かなり強い言葉で敵に警告する人物です。
ただし、この手紙にも注意点があります。複数の写しがあり、ジャンヌ自身が後の裁判で、一部の表現について「自分はそう言っていない」と否定した箇所があります。そのため細部の言い回しまで完全にジャンヌ本人の言葉と断定するのは避けた方がよいかもしれません。
それでも彼女がイングランド軍に撤退を求め、シャルル7世の正統性を主張したことは手紙資料から見ても重要でしょう。
オルレアン解放後、勝利を伝えるジャンヌ
1429年6月25日、ジャンヌはトゥルネー市へ手紙を送りロワール方面での勝利を伝えました。この手紙はジャンヌがロワール川沿いのイングランド拠点を短期間で追い払ったことを報告し、シャルルの戴冠に向けてランスへ来るよう求める内容です。
ここからわかるのはジャンヌが単に戦場で旗を掲げる存在だっただけではないということです。彼女は都市へ向けて情報を発信し、味方を励まし、シャルルの戴冠という政治的目標へ人々を動かそうとしていました。
ジャンヌの目的は、ただイングランド軍を倒すことだけではありませんでした。シャルルを正式な王として戴冠させる。これが彼女の使命の中心にあったようです。

ブルゴーニュ公への和平要求
1429年7月17日、シャルル7世の戴冠当日、ジャンヌはブルゴーニュ公フィリップへ手紙を送りました。この手紙ではフランス王とブルゴーニュ公が確かな和平を結ぶよう求めています。
これはかなり重要です。ジャンヌというと、戦う少女、突撃する聖女というイメージが強いですが、手紙を見ると彼女はブルゴーニュとの和平も求めていました。
当時のフランスは、単純に「フランス対イングランド」ではありません。フランス国内にもブルゴーニュ派とアルマニャック派の対立があり、内部分裂が深刻でした。ジャンヌはその分裂を終わらせることも必要だと見ていたように思えます。ただし、「ジャンヌが本格的な外交戦略を持っていた」とまで言い切るのは慎重にした方がよいです。断定できるのは少なくともこの手紙の中で、彼女がブルゴーニュ公に和平を求めたということです。
停戦に不満を抱いたジャンヌ
戴冠後、シャルル7世側はブルゴーニュ公と15日間の停戦を結びました。1429年8月5日、ジャンヌはランス市民へ手紙を送り、この停戦について触れています。Joan of Arc Archive ではこの手紙はブルゴーニュ公との新たな停戦に関するもので、ジャンヌがその停戦に満足していなかったことを示すものとして紹介されています。
ジャンヌはランス市民に対し、心配しすぎないように伝えながらも町をしっかり守るよう求めました。ここに見えるのはかなり現実的なジャンヌです。勝利して終わりではありません。戴冠して終わりでもありません。敵対勢力との停戦、都市の防衛、裏切りへの警戒。ジャンヌはそうした問題の中にいました。
「神に選ばれた少女」という言葉だけでは、この現実感は見えにくいです。
裁判で追及された男装
ジャンヌ裁判で大きな問題とされたのが、男装です。裁判記録では、ジャンヌは男性用の服を着た理由について神の命令であると説明しています。彼女はもし神が別の服を命じたならそれを着ただろう、とも答えています。
また、再犯審理ではジャンヌが再び男性服を着た理由について、男性たちの中に置かれていたため女性服より都合がよかったこと、ミサや聖体拝領を許す、鎖を外すという約束が守られなかったことを述べています。
ここは非常に重要です。男装は単なるファッションではありません。ジャンヌにとっては、使命、信仰、身の安全、戦場での実用性が絡んだ問題でした。裁判官たちはこれを異端の材料にしようとしました。しかし記録を読むと、ジャンヌ側にも彼女なりの理由があったことがわかります。
「神の恩寵」の質問
裁判で有名なのが、「自分が神の恩寵のうちにあると思うか」という質問です。これは非常に危険な問いでした。
「はい」と答えれば傲慢とされる可能性があり、「いいえ」と答えれば神の使命を否定したと取られかねません。
ジャンヌはこれに対し、「もし私がそこにいないなら、神が私をそこに置いてくださいますように。もし私がそこにいるなら、神が私をそこに保ってくださいますように」と答えました。この返答は本当にすごいです。追い詰めるための質問を、信仰を保ちながらかわしています。
ジャンヌは無学な田舎娘として語られがちですが裁判記録を見る限り、少なくとも尋問に対する反応はかなり鋭いです。彼女は学者ではありません。しかし、自分の信念を守る言葉を持っていました。

最後まで残る「人間としてのジャンヌ」
ジャンヌの手紙と裁判記録を読むと、彼女は単純な聖女像には収まりません。
- 彼女は敵に強く警告しました。
- 味方の都市へ勝利を知らせました。
- ブルゴーニュ公に和平を求めました。
- ランス市民に警戒を呼びかけました。
- 裁判では、神の声、男装、剣、王との出会いについて、何度も問い詰められました。
そして、それでも彼女は自分の使命を否定しませんでした。
もちろん、資料から断定できないことも多いです。彼女の声が実際に何だったのかは不明です。サント=カトリーヌの剣が本当に奇跡だったのかも不明です。一部の手紙は本文が残っておらず、裁判証言や後世の証言からしかわかりません。
けれど、断定できることもあります。
- ジャンヌは自分が神の命令に従っていると本気で語った。
- シャルル7世の正統性を手紙で主張した。
- イングランド軍へ撤退を求めた。
- ブルゴーニュ公には和平を求めた。
- 裁判では、危険な質問にも崩れず答えた。
これだけでも、彼女がただの伝説上のヒロインではなく、戦争と政治と宗教が絡み合う時代の中で、実際に言葉を発し、行動した人物だったことが見えてきます。
↓ジャンヌと戦った武将たち↓
ジャンヌは「奇跡」だけでは語れない
ジャンヌ・ダルクは、確かに奇跡の少女として語られてきました。
けれど、裁判記録と手紙から見える彼女はもっと生々しい存在です。
- 敵には容赦なく退去を迫る。
- 味方には勝利を伝えて励ます。
- 王には使命を訴える。
- ブルゴーニュ公には和平を求める。
- 裁判では、自分の信仰と行動を必死に守る。
正直、読んでいて胸が痛くなるのは、彼女が「完全無欠の聖女」ではなく、まだ十代の若い女性だったことです。怖かったはずです。不安もあったはずです。裁判で大勢の聖職者に囲まれて、何を答えても罠になりそうな質問を浴びせられる。普通なら心が折れてもおかしくありません。
それでもジャンヌは、自分の言葉で答え続けました。
私はそこに、現代の私たちが共感できる部分があると思います。誰かに笑われても、疑われても、追い詰められても、「自分はこれをしなければならない」と信じて進む人間の強さです。
もちろん、ジャンヌのすべてを美化する必要はありません。彼女の手紙には激しい言葉もありますし、中世の価値観そのものも含まれています。けれど、それでも彼女が短い人生の中で放った言葉は、600年近く経った今でも妙に迫ってきます。
ジャンヌ・ダルクは、ただの聖女でも、ただの軍事ヒロインでもありません。裁判記録と手紙から見える彼女は、信じた道を最後まで手放さなかった、一人の強烈な人間だったのだと思います。


参考文献
- 「インターネット中世資料集」W. P. バレット英訳『ジャンヌ・ダルク裁判記録』
原題:The Trial of Joan of Arc / The Trial of Jeanne d’Arc 1932年英訳版 - ジャンヌ・ダルク・アーカイブ「ジャンヌ・ダルクの手紙集」原題:Letters of Joan of Arc
- 「サント=カトリーヌ=ド=フィエルボワの剣に関する裁判証言
- 「シノンへ向かう前に送った手紙に関する裁判証言」

