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【三国志】関索とは何者?史実ではなく創作で活躍した“関羽の幻の息子”

三国志には史実に記録された武将と後世の物語の中で大きく育った武将がいます。その代表格が関索です。

関索は一般に関羽の息子として知られています。ゲームや小説では美形の若武者、南蛮征伐に参加した蜀の将、関羽の血を引く英雄として描かれることもあります。しかし最初に大事なことを確認しておきましょう。

関索は史実の武将としてはかなり怪しい人物です。

英語版Wikipediaでも関索は「fictional character」つまり架空の人物として扱われています。さらに関索は正史には登場せず民間伝承や『三国志演義』に現れる人物と説明されています。つまり関索は、陳寿『三国志』にしっかり記録された実在武将というより三国志の物語世界で生まれた関羽の息子キャラと見るのが安全です。

今回は、『通俗三國志』巻之三十七と英語版Wikipedia、Britannicaの情報をもとに関索という人物がどのように作られ、どのように活躍したのかを見ていきます。


目次

関索とは?

関索は後世の三国志物語に登場する人物です。多くの場合、関羽の息子として描かれます。英語版Wikipediaでも関索はしばしば関羽の三男として描かれると説明されています。ただし、ここで注意が必要です。「関羽の息子として描かれる」ことと「本当に関羽の息子だった」ことは別の話です。

関索は正史には登場しないとされているため史実として「関羽の三男」と断定するのは危険です。むしろ、後世の物語や民間伝承の中で、関羽人気から生まれた人物と考えた方がよいでしょう。関羽は三国志の中でも特に人気の高い武将です。

忠義の人。
武勇の英雄。
劉備・張飛との義兄弟。
そして後世には、関帝として神格化される存在にもなりました。

Britannicaでも関羽は三国時代の武将でありながら後世の民間伝承・戯曲・『三国志演義』の中でロマン化された人物として説明されています。この関羽人気が大きくなればなるほど、その一族にも物語が広がります。「関羽の息子にも、すごい若武者がいた」そういう形で生まれたのが、関索というキャラクターだったのかもしれません。


関索は史実の人物なのか?

結論から言うと史実性は弱いです。関索は正史に記録された確実な人物というより後世の三国志物語で活躍する創作寄りの人物です。英語版Wikipediaでは関索について次のように整理されています。

  • 架空の人物
  • 三国時代の人物として描かれる
  • 関羽の三男とされることが多い
  • 正史には登場しない
  • 民間伝承や『三国志演義』に登場する
  • 諸葛亮の南蛮征伐に関わる

関索は関羽の息子で、史実の最強武将だった

ではなく

関索は、関羽の子として後世の三国志物語に登場する創作上の武将である

が正確です。三国志はこの区別がとても大事です。

  • 正史の三国志。
  • 演義の三国志。
  • 日本で読まれた通俗三國志。
  • ゲームや漫画の三国志。

これらはつながっていますが同じものではありません。関索は、まさにこの「史実」と「物語」の境界にいる人物です。


『三国志演義』とはどんな作品か?

関索を理解するには、まず『三国志演義』の性格を知っておく必要があります。

Britannicaでは、『三国志演義』は14世紀の中国作家・羅貫中に伝統的に帰される小説で、後漢末から三国時代にかけての百年以上の歴史を扱う大作だと説明されています。また、この作品は古い語り物の伝統にもとづき、歴史と伝説を組み合わせた物語です。

つまり『三国志演義』は、完全な歴史書ではありません。もちろん、実在人物や実際の戦争をもとにしています。しかし、その中には物語として盛られた場面、後世の伝承、英雄化された人物像も多く含まれています。関羽が超人的な忠義の英雄として描かれるのも、この「演義的な三国志」の影響が大きいです。そして関索も、その演義的な世界で生まれた人物です。


『通俗三國志』に登場する関索

今回使う『通俗三國志』巻之三十七では関索は諸葛亮の南蛮征伐の場面で登場します。時代は劉備の死後。蜀では後主・劉禅が即位し、孔明が丞相として国政を支えています。この頃、南方で反乱が起こります。

南蛮の王・孟獲が兵を起こし、さらに雍闓・高定・朱褒らがこれに呼応します。蜀にとって、南方の反乱は放置できない大問題でした。孔明は後主に奏上します。南方を放置すれば、国家の大きな災いになる。だから兵を集めて討伐しなければならない。しかし後主は不安を口にします。

「丞相が南へ行ってしまえば、東の呉や北の魏が攻めてくるのではないか」

これはかなり現実的な不安です。蜀は小国です。南へ大軍を出せば、魏や呉への備えが薄くなります。これに対し孔明は、呉には李厳を白帝城に置き、魏には馬超を漢中方面に備えさせればよいと説明します。そして、自ら南征に向かうことを決意します。ここまでは南蛮征伐の導入です。

そして、この南征軍に突然現れるのが関索です。


関索の登場場面

『通俗三國志』では、関索は関羽の子として登場します。関索は孔明のもとへやって来て、自分の事情を語ります。荊州が破れた時、自分は死ぬだろうと思い、郷里に隠れて病を養っていた。
しかし今、蜀が南蛮征伐に向かうと聞き、駆けつけた。

こういう流れです。かなりドラマチックです。

  • 関羽の子。
  • 荊州陥落後に隠れていた若武者。
  • 蜀の大事に駆けつける。
  • 孔明に認められる。

もう完全にゲームの追加参戦キャラです。孔明は関索を見て、朝廷に奏上し、先手の大将に任じます。急に出てきて、いきなり先鋒大将。普通に考えると「誰だお前」となります。しかし物語としては分かりやすい。

関羽の息子なら強いに決まっている。読者もそう受け取りやすい。関羽ブランドの破壊力。


関索は南蛮征伐でどう描かれるのか?

『通俗三國志』の関索は、南蛮征伐における若い武力担当として描かれています。南蛮征伐の主役は、もちろん孔明です。孔明はただ力で敵を倒すのではなく、相手を心から服従させることを重視します。これは孟獲を何度も捕らえては放つ、有名な「七擒七縦」の流れにつながっていきます。しかし、孔明が知略担当なら、実際に戦場で動く武将も必要です。そこで関索が登場します。

関索は、趙雲・魏延とともに戦います。この扱いはかなり大きいです。趙雲は蜀の人気武将。魏延も蜀後期の重要武将。そこに関索が並ぶ。これは物語の中で関索がかなり高待遇で扱われていることを示しています。


鄂煥との戦い

『通俗三國志』では南蛮征伐の序盤に鄂煥という武将が登場します(いたっけそんな武将、、、)。鄂煥は高定の配下で身長九尺ほどの大男として描かれます。顔は鬼のようで方天戟を使う勇猛な武将です。完全に強敵キャラです。孔明は、この鄂煥に対して正面から無理に戦うのではなく、計略を用いるよう命じます。

そして魏延・趙雲・関索が三方から攻め鄂煥を追い詰めます。鄂煥は奮戦しますが、三方向から攻められて退却。その後、山道で伏兵に遮られ、生け捕りにされます。ここで重要なのは関索が趙雲・魏延とともに行動している点です。関索は単なる名前だけの人物ではなく、戦闘場面に参加しています。

ただし、これを史実として見るのではなく、『通俗三國志』における関索像として見るべきです。つまり

通俗三國志では、関索は南蛮征伐に参加し、趙雲・魏延とともに強敵を攻める若武者として描かれている


なぜ関索は創作されたのか?

個人的な考察ですが関索が後世の物語で生まれた理由は、いくつか考えられます。まず一つ目は関羽人気の拡大です。関羽は三国志の中でも特別に人気のある人物です。後世には軍神・関帝として信仰され民間伝承や戯曲でも大きく扱われました。Britannicaも、関羽が後世の伝承・戯曲・『三国志演義』でロマン化されたことに触れています。

これほど人気のある人物なら、その家族にも物語が広がります。関羽の息子たちが活躍する話は読者に受け入れられやすい。関索は、そうした関羽人気の延長線上に生まれた人物と考えられます。

二つ目は、蜀の次世代武将を増やせることです。劉備・関羽・張飛の世代が去った後、物語には次世代の英雄が必要になります。

  • 関興()。
  • 張苞()。
  • そして関索(笑)。

こうした若武者を出すことで、蜀の物語は続いていきます。

三つ目は、南蛮征伐との相性です。南蛮征伐は、普通の中原の戦争とは雰囲気が違います。

  • 山岳地帯。
  • 異民族。
  • 猛獣。
  • 毒泉。
  • 奇策。
  • 異国感。

かなり冒険物語に近い要素があります。そこに関羽の息子である若武者を登場させると物語として映えます。多分。関索は史実の人物としてではなく三国志物語を面白くするためのキャラクターとして非常に便利だったのでしょう。


「花関索」とは?

英語版Wikipediaでは、関索には民間伝承でHua Guan Suo、つまり「花関索」という別名があると説明されています。これは、関索が父・関羽に会う前に使っていた名前とされます。この「花」は、関索の武術の師である花岳・花月に由来するとも説明されています。ここからも、関索が単なる『三国志演義』の脇役ではなく、民間伝承の中で独自に広がった人物だったことが分かります。

関索は史実の記録では弱い。しかし民間伝承ではかなり濃い。このギャップが面白いところです。



まとめ

関索は関羽の息子として知られる三国志の人物です。しかし、英語版Wikipediaでは架空の人物とされ正史には登場せず民間伝承や『三国志演義』に現れる人物として説明されています。『通俗三國志』巻之三十七では関索は孔明の南蛮征伐に参加する若武者として登場します。荊州陥落後に身を隠していたが、蜀の南征を聞いて駆けつけ孔明に認められて先手の大将となる。さらに趙雲・魏延とともに鄂煥を攻めるなど、かなり重要な役割を与えられています。

ただし、これはあくまで物語上の関索です。関索を史実の武将として扱うのではなく関羽人気と三国志物語の広がりの中で生まれた創作ヒーローとして見るのが一番正確でしょう。関羽という巨大な英雄がいたからこそ、その息子として関索の物語が生まれた。

正史には薄い。でも物語では濃い。それが関索なのです。

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参考資料・出典

  • 『通俗三國志』巻之三十七
  • English Wikipedia “Guan Suo”
  • Encyclopaedia Britannica “Romance of the Three Kingdoms”
  • Encyclopaedia Britannica “Guandi”

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