結論:おにぎり

戦国時代の合戦と聞くと、刀、槍、鉄砲、騎馬武者、城攻めなどを思い浮かべる人が多いでしょう。しかし戦場で一番大事だったものは、実は武器だけではありません。それは飯です。どれほど強い武将でも腹が減れば戦えません。どれほど勇敢な兵士でも米が尽きれば動けません。戦国時代の合戦は刀と槍だけでなく「何を食べるか」によっても支えられていました。
では戦国時代の兵士たちは実際にどんなものを食べていたのでしょうか。今回は戦国時代の戦場飯を見ていきます。
まず基本は米だった
戦国時代の兵糧の中心は、やはり米でした。兵糧は戦争時の軍隊の食糧であり日本では主食である米を中心に考えられることが多いと説明されています。『雑兵物語』にも、戦場で必要な食料の計算として、
米は一人一日六合
という記述が見えます。六合とは、現在の感覚ではかなり多めの米です。ただし戦場の兵士は長距離を歩き荷物を運び戦闘にも参加します。現代人のように座り仕事をしているわけではありません。消費カロリーを考えれば、かなり多く食べる必要があったのでしょう。ここからわかるのは戦国の兵士にとって米は単なる主食ではなく体を動かすための燃料だったということです。腹が減っては戦はできぬ。これは本当にその通りだったと思われます。
味噌も重要だった
『雑兵物語』には米だけでなく味噌の分量も出てきます。
味噌は十人で一日二合
という内容です。つまり兵糧として味噌も計算に入っていました。味噌は非常に便利です。
- 米に味をつけることができる。
- 汁物にできる。
- 塩分を補給できる。
- 保存も比較的きく。
戦場では豪華な料理など期待できません。そこで味噌は米を食べるための重要な調味料であり栄養源でもありました。おそらく兵士たちは米を炊き、味噌で味をつけたり、味噌汁のようなものを作ったりして食べていた可能性があります。ただし、『雑兵物語』の記述だけで「全員が毎回味噌汁を飲んでいた」とまでは断定できません。確実に言えるのは少なくとも味噌が兵糧の計算に含まれるほど重要視されていた、ということです。
塩も欠かせなかった
『雑兵物語』には塩についても
塩は十人で一日一合
という記述が見えます。塩は現代でも人間に必要なものですが、戦場ではさらに重要でした。
- 汗をかく。
- 長距離を歩く。
- 重い荷物を運ぶ。
- 戦闘で体力を使う。
こうした状況では塩分補給はかなり大切です。また塩は味つけにも使えます。米だけでは食べづらくても、塩があれば最低限の食事になります。保存にも関わるため戦場ではかなり価値のある物資だったと考えられます。戦国の兵士の基本食は
米
味噌
塩
この三つを中心に考えるのがかなり自然です。華やかな武将の食事ではなく、かなり質素で実用的な飯だったのでしょう。
食料不足のときは草木の根や葉も食べた?
『雑兵物語』の画像には、食料が不足したときのかなり生々しい記述もあります。そこでは味方の領地なら食料を集めることもできるが、味方の部隊から食料を奪うわけにはいかない、というような話が出ています。さらに食料不足の場面で馬の餌として藁や木の実、草木の根や葉を拾う話も見えます。
ここで注意したいのは草木の根や葉が「人間の主食」として書かれているわけではない点です。画像の文脈では主に馬の餌に関する話として読むのが安全です。ただし戦場で食料が極端に不足すれば人間も普段なら食べないものを口にした可能性はあります。しかし、今回の資料だけで「雑兵は草の根を常食していた」とまでは言えません。
事実として確認できるのは、戦場では人間の食料だけでなく、馬の餌も不足し、草木の根や葉まで利用対象になったということです。戦国の戦場飯は、人間だけでなく馬も含めたサバイバルだったわけです。

水がなければ米も食べられない
米、味噌、塩があっても、それだけでは飯になりません。米を炊くには水が必要です。『雑兵物語』には水についてもかなり実用的な記述が見えます。画像の本文では流れている川の水は大丈夫だが土地が変わると湧き水も変わり体に合わない水は腹を壊す原因になる、というような話が出ています。また上澄みの水を飲むのがよい、というような記述もあります。
これは戦場飯を考えるうえで非常に重要です。戦国の兵士たちは、米を持っているだけでは食事ができませんでした水を確保しなければ、米を炊けない。水が悪ければ、腹を壊す。腹を壊せば、戦えない。つまり「何を食べていたか?」を考えるなら、「何を飲んでいたか?」も無視できません。戦場では安全な水を得ることも食事の一部だったのです。
薪がなければ煮炊きできない
さらに『雑兵物語』には薪についての記述もあります。煮炊きには火が必要です。火を起こすには薪が必要です。しかし戦場では、いつでも都合よく薪が手に入るとは限りません。薪が手に入らないときは、馬の糞の乾いたものを使うというような話も見えます。これはかなり衝撃的ですが、実用的でもあります。
- 米を食べるには、水と火が必要。
- 火を起こすには燃料が必要。
- 薪がなければ、代用品を探すしかない。
戦国の戦場飯は、「米を持ってきました、はい終わり」ではありませんでした。米、味噌、塩、水、薪。ここまでそろって、ようやく飯になるのです。めんどい。
兵糧丸は食べていたのか?
戦国時代の携帯食として有名なのが「兵糧丸」です。兵糧丸は戦国時代から江戸時代にかけて使われた丸薬状の携帯保存食とされ、『万川集海』などの忍術書に製法が記載されていると説明されています。兵糧丸というと、忍者や兵士が懐から丸薬を取り出して食べるようなイメージがあります。かなりロマンがあります。
しかし、ここは注意が必要です。今回見た『雑兵物語』と『信長公記』の記述で中心に出てくるのは、米、味噌、塩、水、薪、馬の餌です。兵糧丸が「戦国の兵士全員の標準食」だったとまでは、この資料だけでは、兵糧丸は「特殊な携帯食・非常食」として考えるのが堅実でしょう。
籠城戦では牛馬まで食べたっぽい
通常の戦場飯が米・味噌・塩だとすれば、兵糧が尽きたときの食事はどうなったのでしょうか。ここで重要なのが『信長公記』です。籠城戦で兵糧が尽き牛馬を食べながら城門を固めていた、という記述が確認できます。これは非常に重い記述です。

牛馬は本来、移動や輸送、軍事行動に関わる重要な存在です。その牛馬を食べるということは、通常の食料がほとんど尽きていたことを意味します。つまりこれは「戦国時代の普段の食事」ではありません。兵糧攻めや長期籠城によって追い詰められた極限状態です。ここを混同してはいけません。
通常時の兵糧は、米・味噌・塩。極限状態では、牛馬を食べることもあった。といったところでしょう。
信長は兵に米を支給していた
『信長公記』には、信長が兵糧に困っているだろうと考え、兵の人数に応じて扶持米を支給したという記述があります。これは兵士の食事が個人任せではなかったことを示しています。戦国の軍勢では兵士が勝手に現地で飯を探すだけではなく指揮官や大名が米を支給することもあったのです。この記述からわかるのは、米が単なる食べ物ではなく、兵士を軍勢として維持するための重要物資だったということです。
- 兵士に米を与える。
- 兵士はそれを食べて動く。
- 軍勢が維持される。
戦国の合戦は、米の支給によって支えられていたとも言えるでしょう。

戦国時代の兵士の食事をまとめると
今回の資料から見る限り、戦国時代の兵士が食べていたものは、次のように整理できます。
史料から確認しやすいもの
- 米
- 味噌
- 塩
- 水
- 場合によっては牛馬
食事に必要だったもの
- 薪
- 鍋などの調理道具
- 安全な水
- 馬の餌
こうみると。華やかな戦国武将のイメージとは違い、戦場の飯はかなり現実的で、時には過酷なものでした。
まとめ
戦国時代の兵士が食べていたものを今回の資料から見ると、中心は米・味噌・塩でした。
『雑兵物語』には、米は一人一日六合、味噌は十人で一日二合、塩は十人で一日一合という計算が見えます。
ここから、戦場の食事が人数と日数でかなり現実的に計算されていたことがわかります。また、水や薪も重要でした。米があっても、水がなければ炊けません。薪がなければ煮炊きできません。戦場の飯とは米だけでなく水と火を確保することでもありました。
『信長公記』には、信長が兵の人数に応じて扶持米を支給した記述や籠城戦で兵糧が尽き牛馬を食べるに至った記述があります。つまり戦国時代の兵士たちは基本的には米・味噌・塩を中心に食べ極限状態では牛馬まで食べることがあったのです。戦国の合戦を支えていたのは、名刀や鉄砲だけではありません。その裏には、米を炊き、味噌で味をつけ、塩で体を支え、水を探し、薪を集める兵士たちの現実がありました。
戦国時代の戦場飯は、まさに命をつなぐための飯だったのです。
参考資料・出典
- 『雑兵物語』
- 『信長公記』
- Wikipedia「兵糧」
- Wikipedia「兵糧丸」

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