関索は三国志演義に登場する架空の人物です。関羽の息子とされている人物です。正史には登場しない人物であり演義でのみ出現します。
演義で登場する際には南蛮征伐で突然現れ大した活躍もせずにさっさと退場してしまいます。南蛮征伐までは嫁の家に隠れていて諸葛亮が征伐を開始すると参戦するために駆け付け、諸葛亮の護衛を任されるが。それ以降は消えるようです。
関索の伝承が書かれた花関索伝
そんな彼の物語が書かれた「花関索伝」なるものが存在し、その内容が非常に意味の不明なものになっています。
以下「花関索伝」を私の独断と偏見で省略させたものを紹介します↓
- 関羽の嫁が実家で関索を産む
- 7歳の時に関索は迷子になって索員外に拾われる
- 18歳に索員外から実の父は関羽だよって衝撃の暴露をされる
- 関羽の関と索員外の索から名前を取り関索と名乗る
- 関羽を探しに行く
- 道中、鮑三娘を倒して嫁にする
- 孔明が占いで関羽に兄弟が一人増えるよって告げる
- 呉王配下の者が関羽の赤兎馬をパクって関索のもとへ行き関羽だと告げるが関索の母がこれを看破する
- そこに張飛が現れ事情を話すと関索は呉の配下を殺し曹操軍と戦って苦戦していた関羽を助け出して感動の再開を果たす
- 関羽が劉備に関索を紹介。姜維も同席していた。
- 落鳳波でも曹操と劉備、劉璋らと宴会をする。剣舞に紛れて劉備を暗殺をしようとした者を関索が返り討ちにする
- 曹操は怒って劉備らを包囲するが張飛の援軍が到着すると曹操は降伏する
- 劉備はその後、成都攻略を始めるが周倉が成都で抵抗する、姜維がこれに挑戦するが敗れる。
- 関索が周倉を激戦の末に倒して成都入りを果たす
- 関羽は強引に荊州に駐屯する
- 関羽に呂蒙が孫権の娘と関家との縁談を持ちかけるが関羽は断る。
- 激怒した孫権が呂蒙・陸遜を率いて荊州に攻める
- 関羽は陸遜にボッコボコにされて劉備に13回も援軍要請した
- しかし使者はなぜか劉備の義子の劉封に握りつぶされる
- 麋竺・ビホウにも裏切られて荊州は陥落
- 関羽も赤兎馬も張飛も死亡。
- 劉備ではなく関索が蜀の全軍を率いて敵討ちへ。
- 関索は陸遜と呂蒙を破り、麋竺・ビホウを殺して関羽と張飛の死を弔った
- 劉備が関羽・張飛を思うあまり死去すると、孔明は修行のため山に帰った
- 関索も落胆して病死した
ツッコミどころ満載
三国志を知っている人ならツッコミたくなるようなことが多いことに気付くと思います。
もっともっと後になってからしか登場しない姜維が出てきたり麋竺が裏切ったりありえない箇所もあります。
関索が主人公であるためか孔明や関羽ですらアホみたいに書かれていて、解決するときは大体関索が一騎打ちで終わらせてしまいます(笑)
あと三国志演義では南蛮征伐に出てくるのに諸葛亮は帰っちゃうんで征伐すら始まってないんですよね。演義は演義でなんなんだ(笑)
関索ってどうして産まれたんでしょうね。架空にしてはしっかり(?)した物語が作られていますし。
説の1つとしては「関羽本人だった」という説もあるらしいです。関羽の役職はまれに索と言われていたので関羽のことを関索と呼ぶことがあったらしいから、というのです。
いずれにしても創作の人物にここまで設定が肉付けされるのも面白い話しです。
それが最強の武将関索なのでした。
コメント