李俊臣は李氏朝鮮の将軍。秀吉が始めた文禄・慶長の役において日本軍相手に海戦で初勝利したひと。韓国では救国の英雄とされている。現在のソウル市出身で、4人兄弟の3男として産まれたそうです。俊臣は若いころから勇猛果敢だったとされていて、32歳で武科の試験に合格しました。
その後はいろいろ不遇な時代を過ごしていたようですが日本軍の攻めてくる前年(1591年)に全羅左道水軍節度使に大抜擢されました。ただ李はそれまでは功績が少なく他の諸将からは反感を買っていたようです。
文禄の役にて豊臣秀吉の朝鮮侵攻が始まるとあまりにも弱すぎたらしく慶尚道水軍は壊滅。しかし李俊臣は全羅道水軍を温存した。日本水軍支配域に侵入し巨済島に停泊していた藤堂高虎と堀内氏善らの日本船団を襲撃して戦果をあげました。
日本軍は李の日本船攻撃が活発になると、脇坂安治、九鬼嘉隆、加藤嘉明を各方面から招集してこれに対抗することにしました。
ところが李俊臣は囮を使って潮流の激しい海峡に単独行動中の脇坂隊をおびき寄せて閑山島海戦で撃破。次に脇坂隊の救援のために安骨浦まで進出して停泊していた加藤・九鬼水軍を襲撃し戦果をあげました。
この時の日本水軍の被害は大船36隻、中船24隻、小船13隻であったと言います。
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