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【中世後期】ラ・イルとは何者だったのか? ジャンヌ・ダルクと共に戦った“現場型”の猛将

目次

はじめに

百年戦争後期、ジャンヌ・ダルクの登場によってフランス軍は大きく勢いを取り戻しました。

しかし、ジャンヌ一人だけで戦場が動いたわけではありません。彼女の周囲には実際に兵を率い、偵察し、敵へ突撃し、退却時には味方を守る武将たちがいました。

その一人が、ラ・イルです。

ラ・イルは、後世では荒々しい猛将として語られることが多い人物です。しかし今回確認した『オルレアン包囲日記』と『乙女年代記/クージノ年代記』を見ると、ただの突撃屋ではありません。

  • 敵情を探る。
  • 突破口を見つける。
  • 先鋒として動く。
  • 敗戦時にも味方をまとめ直す。
  • 退却時には後方を守る。

かなり実戦能力の高い現場型の指揮官として姿が見えてきます。

ラ・イルとは?

ラ・イルは主に「エティエンヌ・ド・ヴィニョール、ラ・イルと呼ばれる人物」として登場します。『乙女年代記』では、モンタルジ救援の場面で「Estienne de Vignoles dit La Hire」と記されています。ラ・イルは本名ではなく通称です。

確実に言えるのは、ラ・イルが1420年代後半からジャンヌ・ダルクの軍事行動期にかけてフランス側の重要な軍事指揮官として何度も登場することです。

ジャンヌ以前のラ・イル――モンタルジ救援

ラ・イルの存在感が強く出るのはジャンヌ登場前のモンタルジ救援です。『乙女年代記』によれば、リッシュモン大元帥とデュノワは、包囲されたモンタルジへ食料を入れる方法を相談しました。その軍勢の中に、グラヴィル、ゴークール、そしてラ・イルがいました。

この時、ラ・イルは60槍騎兵を率いて包囲陣の様子を探る役目を任されています。敵の防備を見たラ・イルは入り込むのは難しいと判断しながらも、通れそうな場所を見つけたと記されています。

ここが面白いところです。ラ・イルというと、どうしても「豪快な猛将」というイメージが先に来ます。しかしこの場面の彼はただ真正面から殴りかかる武将ではありません。

  • まず敵を見る。
  • 地形を見る。
  • 入れる場所を探す。
  • そして攻める。

つまりかなり実務的です。

「うおおお突撃!」だけではなく、「ここなら通れる」と見極める目を持っていた。こういうタイプの武将は、実際の戦場ではかなり頼りになります。

ラ・イルの祈り―怪しいけど、人間味がすごい逸話

モンタルジ救援の場面では、ラ・イルの有名な祈りの逸話も出てきます。ただし、これは実際の発言そのものかどうかは怪しいです。年代記に載る逸話なので後から「ラ・イルらしさ」を出すために整えられた可能性はあります。

戦闘前、ラ・イルは司祭に急いで赦免を求めます。司祭が罪の告白を促すと、ラ・イルは「そんな暇はない、すぐ敵を攻撃しなければならない」と答えたように記されています。その後、ラ・イルは手を合わせ、ガスコーニュ訛りで神に祈ったとされます。内容はかなりざっくり言えば、

「神よ、今日ラ・イルのために、もしラ・イルが神で、あなたがラ・イルだったら、ラ・イルがあなたにしてやりたいと思うくらいのことをしてください」

というものです。いや、祈り方のクセが強すぎる。普通の敬虔な祈りとはかなり違います。ほぼ神様に対して「俺が神だったら助けるぞ。だからあなたも助けてくれ」みたいなノリです(笑)でも、ここにラ・イルという人物の魅力が出ている気がします。

  • 完璧な聖人ではない。
  • 品行方正な人物にも見えない。
  • でも、戦場を前にして、自分なりに神へ向き合っている。

この不器用さが、妙に人間くさいんですよね。戦場に出る直前、怖さもあったでしょう。死ぬかもしれない。負けるかもしれない。けれど時間はない。すぐ敵に向かわなければならない。

そんな状況で出てきた祈りだと思うと、少し笑えて、同時に少し胸に来ます。綺麗な言葉で祈れなくても、必死に前へ出る人間はいる。ラ・イルのこの逸話は、まさにそういう荒々しい信仰と戦場の現実が混ざった話に見えます。

オルレアン包囲戦でのラ・イル

1429年、オルレアンはイングランド軍に包囲されていました。この戦いはジャンヌ・ダルクの名を一気に高めることになりますがラ・イルも包囲戦の中で何度も登場します。

『オルレアン包囲日記』では1月末ごろ、ラ・イルがランスロ・ド・リルと話し合う場面が出てきます。その後、オルレアン側の砲撃によってランスロが討たれたと書かれています。さらに翌日の小競り合いではサント=セヴェール元帥、ラ・イル、ポトン、ジャック・ド・シャバンヌらが出撃しイングランド兵を攻撃しています。この時、敵7人を討ち、14人を捕虜として市内へ連れ帰ったと記されています。

2月にもラ・イルは何度も出撃しています。サン=ローラン方面へ出た時にはイングランド軍が陣地から出てこなかったため大きな戦闘にはなりませんでした。また、別の日にはラ・イル、ポトンらが約200人を率いてマドレーヌ方面へ向かいイングランド側を退かせ、14人を討つか捕虜にしたとあります。ここから見えるラ・イルは、かなり活動的です。

  • 城内にいて待っているだけではありません。
  • 外へ出る。
  • 敵を見る。
  • 小競り合いを仕掛ける。
  • 捕虜を取る。

包囲されている側にとってこういう武将の存在はかなり大きかったはずです。士気が下がりやすい包囲戦の中で「外へ出て戦える武将」がいることは、町の人々にとっても心強かったのではないでしょうか。

補給部隊襲撃で見える、ラ・イルの戦場勘

『オルレアン包囲日記』で特に印象的なのが、イングランド側の補給部隊を襲おうとした場面です。ラ・イル、ポトンらはイングランド軍が補給物資を運んでくるところを見つけます。しかも敵はまだ隊列を整えておらず、不意を突ける状態だったようです。

ラ・イルたちは「今攻めるべきだ」と考えます。しかし、クレルモン伯は自分が到着するまで攻撃を待つよう命じました。ラ・イルはこの待機によってイングランド軍が荷車や杭で防御を固める時間を与えてしまうと見て、非常に不満を示したように書かれています。

結果としてフランス側はこの戦いで敗れます。しかし敗走する中でもラ・イルとポトンは60〜80人ほどを再集合させ、散らばったイングランド兵に反撃しました。資料はもし他のフランス兵も彼らのように戻って戦っていればその日の名誉と利益はフランス側に残っただろう、という趣旨で記しています。

ここはラ・イルを語るうえでかなり重要です。彼は、無謀に突っ込むだけの武将ではありません。敵が弱い瞬間を見抜き、攻め時を判断していました。そして敗れた後も完全に崩れず、味方をまとめ直して反撃しています。

戦場では、勝っている時だけ強い武将より、負けた時に崩れない武将の方が頼りになります。ラ・イルはまさにそのタイプに見えますね。

ジャンヌ・ダルクとラ・イル

では、ラ・イルとジャンヌ・ダルクはどのような関係だったのでしょうか。ジャンヌとラ・イルが同じ戦場で行動していたことは確認できます。

『オルレアン包囲日記』では、昇天祭の日、ジャンヌ、バスタール・ドルレアン、ジル・ド・レ、グラヴィル、ラ・イルらが軍議を開き、トゥーレル方面を攻撃する方針を決めています。

翌日の攻撃ではジャンヌがバスタール・ドルレアン、諸元帥、グラヴィル、ラ・イルらとともに出撃します。そしてジャンヌとラ・イルは一部の兵を合わせ、強い勢いでイングランド軍を攻撃し、敵をトゥーレル方面へ押し戻したと記されています。さらに、アウグスティヌス教会付近の防塁を力攻めで奪い、捕らえられていたフランス人を解放したともあります。

ここから言えるのはラ・イルがジャンヌの近くで重要な作戦に参加していたことです。ただし、ここで「ラ・イルはジャンヌを心から信じていた」「ジャンヌの側近だった」とまでは言い切れません。

確実に言えるのは、ジャンヌが現れた決定的な局面で、ラ・イルは同じ軍議に参加し、同じ攻撃に加わり、共に前線で戦ったということです。それだけでも十分に熱いですが。

10代の少女ジャンヌと、戦場慣れした猛将ラ・イル。この二人が同じ方向を向いてトゥーレルへ向かう。百年戦争の流れが変わる瞬間に、ラ・イルは確かにそこにいたのです。

↓ジャヌの記事はこちら↓

オルレアン解放後のラ・イル

オルレアン包囲が解かれる場面でも、ラ・イルは出てきます。

イングランド軍が撤退する時、ジャンヌは日曜日であることを理由に、フランス側から戦闘を始めないよう命じたと記されています。その後、イングランド軍は整然と撤退し、オルレアン包囲は終わりました。

一方、『乙女年代記』では、包囲解除後にラ・イルとアンブロワーズ・ド・ロレが100〜120槍ほどを率いて馬で進み、撤退するイングランド軍を数リーグにわたって側面から追跡したと記されています。つまり、戦いが終わった後も、ラ・イルは敵の動きを確認する役割を担っていたわけです。

  • 勝利した後に油断しない。
  • 敵が本当に退いたのかを見る。
  • 必要なら追う。

ここにも、ラ・イルの現場指揮官らしさが出ています。

パテーの戦い―先鋒として敵を崩す

オルレアン解放後、フランス軍は反撃に出ます。その中でも大きな勝利となったのがパテー方面での戦いです。

『オルレアン包囲日記』では、フランス軍は主力を無理に動かさず、ラ・イル、ポトン、ジャメ・ド・ティロワ、アンブロワーズ・ド・ロレ、ティボー・ド・テルムら騎馬武者を先行させたとあります。彼らには、イングランド軍が安全な場所へ退くのを防ぎ、前方で小競り合いを仕掛ける役目が与えられました。

その結果、彼らは1400〜1500ほどの兵で、4000人以上とされるイングランド軍を混乱させます。資料では、イングランド側に約2200人の死者が出て、タルボットやスケールズら有力者が捕らえられたと記されています。

『乙女年代記』でもパテーの場面でラ・イルは前衛・斥候役の一人として登場します。ボーマノワール、ポトン、ラ・イル、アンブロワーズ・ド・ロレ、ティボー・ド・テルムらが先行し、イングランド軍が陣形を整える余裕を失わせたと書かれています。ここでも、ラ・イルは前に出る役です。

  • 敵が逃げる。
  • 逃がさない。
  • 隊列を整えさせない。
  • 崩れたところを叩く。

まさに先鋒向きの武将です。ジャンヌがフランス軍に大きな精神的勢いを与えた存在だとすれば、ラ・イルはその勢いを現実の戦場で敵にぶつける役だったように見えます。

ラ・イルは「ただの荒武者」だったのか?

資料から見る限りラ・イルを「ただ荒っぽいだけの武将」と見るのは少しもったいないです。たしかに祈りの逸話は荒々しい。戦い方もかなり前のめりです。しかし彼は同時にかなり実務的です。

  • モンタルジでは突破口を探す。
  • オルレアンでは小競り合いに何度も出る。
  • 補給部隊襲撃では攻め時を見抜く。
  • 敗戦後には味方をまとめ直す。
  • ジャンヌと共にトゥーレル方面を攻める。
  • パテーでは先鋒として敵を崩す。

これを見るとラ・イルは「戦場で何をすべきか」を肌で分かっていた武将だったのだと思います。もちろん、資料だけでは彼の内面までは分かりません。ジャンヌをどう見ていたのか、どれほど信頼していたのかも不明です。しかし、行動だけを見ると彼はフランス軍の反撃期において、かなり重要な働きをした武将でした。

まとめ

ラ・イルは、ジャンヌ・ダルクの物語に登場する脇役の一人として見られがちです。しかし『オルレアン包囲日記』と『乙女年代記』を読むと、彼はかなり重要な現場指揮官として見えてきます。

モンタルジでは突破口を見つけ、オルレアンでは小競り合いを重ね、補給部隊襲撃では攻め時を見抜き、敗れた後も味方をまとめ直しました。ジャンヌ登場後は、同じ軍議に加わり、トゥーレル方面の攻撃にも参加しています。そしてパテーの戦いでは、先鋒としてイングランド軍を崩す役割を担いました。

この流れを見ると、ラ・イルは「ジャンヌの横にいた荒々しい武将」というだけではありません。ジャンヌがフランス軍に希望を与えた存在だとすれば、ラ・イルはその希望を戦場で実際の攻撃力に変えた一人だったと思います。個人的には、ラ・イルの魅力は「完璧な英雄ではないところ」にあります。

  • 祈り方は変。
  • たぶん品も良くない。
  • 戦場では荒々しい。
  • でも、いざという時に前へ出る。
  • 味方が崩れても、もう一度まとめ直す。
  • 敵が逃げれば追い、危険なら後方も見る。

こういう人物は綺麗な物語の主人公にはなりにくいかもしれません。でも、実際に戦場で一緒にいるならものすごく頼もしいはずです。

ジャンヌ・ダルクの奇跡の裏には、ラ・イルのような泥臭く、荒々しく、それでも前へ進む武将たちがいました。

だからこそオルレアンの勝利は「聖女ひとりの奇跡」ではなく、ジャンヌの旗のもとに集まった人々が、それぞれの役割を果たした結果だったのだと思います。

参考資料・出典

  • 『Journal du Siége d’Orléans par les Anglais en 1429』
  • 『Chronique de la Pucelle / Chronique de Cousinot』
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