はじめに
三国志時代の軍を支えたのは、麦や米などの穀物でした。
出撃前には牛肉や酒食を振る舞われることもありましたが、兵糧が尽きると桑の実や葛の葉で飢えをしのいだ記録もあります。
ただし、兵士全員に共通する毎日の献立や、一日の食事量までは不明です。
本記事では後漢末を含む三国志の時代を対象に、陳寿『三国志』本文と裴松之注を中心に食事事情を見ていきます。後世に編纂された『晋書』の記録も区別して紹介し、『荊楚歳時記』『盂蘭盆経』は食文化の補足として用います。
一章 軍を支えたのは麦や米などの穀物
麦を収穫してから戦った曹操
『三国志』の荀彧伝には曹操が呂布と争っていた時期に荀彧が兵を指揮して実った麦を収穫し食糧を節約して穀物を蓄えるよう勧めた場面があります。曹操はその助言を受け入れ麦を大量に収穫してから再び呂布と戦いました。
この記録から麦は軍事行動を続けるための重要な食糧だったことがわかります。戦う力があっても兵士の腹を満たせなければ軍を動かすことはできなかったでしょう。
しかいここに書かれているのは麦の確保です。麦飯にしたのか、粥にしたのか、粉にして調理したのかまでは分かりません。

関羽の軍も米を必要としていた
呂蒙伝には関羽が于禁らの軍を捕らえた後、食糧不足を理由に湘関の米を無断で取ったと記されています。米もまた軍の食糧として調達されていたことが確認できます。
もっとも「魏は麦、呉と蜀は米」と国ごとに違かったかは分かりません。同じ呂蒙伝には曹操配下の朱光が皖で稲田を大きく開いたという記録もあります。
軍の食事を考える際には所属する国だけでなく、どこに駐屯し、どこから食糧を調達できたのかを見る必要があります。
大豆が支給された記録もある
『晋書』の文帝紀には司馬昭が諸葛誕の籠もる寿春を包囲した際、兵士に大豆を一人三升支給したという記録があります。ただし、これは敵に自軍の窮乏を印象づけようとする作戦の文脈で登場します。三国時代の兵士が普段から同じ量の大豆を食べていたという意味ではありません。支給が何日分だったのかどのように調理したのかも、この箇所では不明です。また、『晋書』は唐代に編纂された史書であり、『三国志』本文とは成立時期が異なります。
二章 肉や酒を振る舞われることもあった
張遼は出撃前に牛を殺して将兵をもてなした
兵士の食事は穀物ばかりだったのでしょうか。少なくとも肉を振る舞われた場面は記録されています。
張遼伝によると合肥で孫権軍を迎え撃つ際、張遼は夜のうちに出撃に従う者を募り、八百人を集めました。そして牛を殺して将兵に食事を振る舞い翌日の戦いに臨んでいます。
将軍だけではなく兵士も肉を食べたことを示す場面です。ただしこれは危険な出撃を前にした特別な食事です。この記録から一般兵が毎日牛肉を食べていたかまでは分かりません。
甘寧の夜襲前にも酒食が用意された
甘寧伝にも敵陣を夜襲する前の食事が登場します。
孫権から特別に与えられた酒食を甘寧は配下の百余人に分けました。食事の後には酒を順に飲ませ夜襲へ向かっています。ここからは出撃する兵士たちに食事と酒を与えた様子がわかります。ただし料理の細かな内容や肉の種類は不明です。
張遼や甘寧の記録を読むとこうした食事には腹を満たすだけでなく兵士をねぎらい、戦いへの気持ちを固める役割もあったのではないかと感じます。これは食事の場面から読み取れる私の解釈です。

三章 兵糧が尽きると桑の実や葛の葉を食べた
桑の実に頼った袁紹の兵士
武帝紀の裴松之注が引く『魏書』には、戦乱で食糧が不足していた時期、河北の袁紹の兵士たちが桑の実を頼りに食いつないでいたと記されています。これは食後に果物を楽しんだという話ではありません。軍を養う食糧が足りず、桑の実に頼らなければならなかったという記述です。
なおこの話は陳寿の本文ではなく裴松之注に引用された別の史書の記録です。
葛の葉を食べながら退却した呉軍
『晋書』の文帝紀には呉の朱異軍が補給物資を焼かれ残った兵士たちが激しく飢え葛の葉を食べながら逃れたとあります。ここでいう葛は、葛粉を使った料理ではありません。史料が記しているのは葉です。
兵士にとって補給を失うことはそのまま飢えにつながりました。武将の作戦や勇敢さだけでは埋められない問題が毎日の食事だったことを感じさせる記録です。
確認できる食べ物を整理すると
| 食べ物 | 記録される状況 | 注意点 |
|---|---|---|
| 麦 | 曹操軍が収穫し、戦いの継続に備える | 調理方法は不明 |
| 米 | 関羽が食糧不足を理由に調達する | 兵士一人あたりの量は不明 |
| 大豆 | 司馬昭の軍で支給する | 特殊な作戦中の記録 |
| 牛肉 | 張遼が出撃前に将兵へ振る舞う | 普段の配給とは限らない |
| 酒・料理 | 甘寧が夜襲前に配下へ分ける | 料理の詳細は不明 |
| 桑の実 | 袁紹の兵士が食糧不足の中で頼る | 飢えをしのぐ食事 |
| 葛の葉 | 呉の朱異軍の残兵が退却中に食べる | 補給を失った際の非常食 |
四章 『荊楚歳時記』『盂蘭盆経』から見える食文化
『荊楚歳時記』には粥・野菜料理・漬物が登場する
6世紀の荊楚地方の年中行事を記した『荊楚歳時記』には油脂を加えた豆粥、七種類の野菜で作る汁物、大麦粥、粽、塩漬けの野菜などが登場します。穀物を確保するだけでなくさまざまな方法で調理・加工する食文化を知ることができます。またその注には『魏氏春秋』から、魏の何晏が湯餅を食べたという逸話が引用されています。
ただしこの本は三国時代より後の資料です。記された料理をそのまま三国時代の兵士の献立に加えることはできません。

『盂蘭盆経』は飯や果実による僧への供養を説く
『盂蘭盆経』には飯やさまざまな飲食物、果実類を用意し、僧たちを供養する教えが記されています。
食べ物が父母への孝養や宗教儀礼と結びついていたことを考える資料になります。ただし、軍隊の食事記録ではなく、具体的な料理名も限られています。三国時代の兵士が何を食べたかを直接示す出典にはできません。
五章 英雄たちの戦いを支えた一食
三国志時代の軍を支えたのは麦や米などの食糧でした。豆を支給された例もあり出撃前には肉や酒食を振る舞われることもありました。しかし補給が途絶えれば桑の実や葛の葉にまで頼らなければなりませんでした。
一方で兵士に共通する一日の献立、食事の回数、肉や野菜を食べる頻度は正史からはわかりません。
三国志を読んでいるとどうしても名将の一騎打ちや鮮やかな計略に目を奪われます。それでも私は牛肉を振る舞われて翌日の出撃を待つ兵士や葉を食べながら退く兵士の姿を思うと戦いが急に身近で切実なものに感じられます。明日も食べられるのか。無事に帰れるのか。名前の残らなかった兵士たちもそんな不安を抱えていたのではないでしょうか。彼らの気持ちを史料から断定することはできません。それでも華やかな英雄の物語の足元に一食を必要とする大勢の人がいたことは忘れたくありません。
参考資料・出典
- 『三国志』陳寿撰・裴松之注
- 『晋書』
- 『荊楚歳時記』
- 『仏説盂蘭盆経』



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