はじめに
陳寿は蜀に仕えた経験を持ちその後は西晋で史書の編纂に携わった官僚です。『三国志』は魏を正統に置く構成を採っており西晋の政治的な立場を踏まえて読む必要があります。ただし個々の記述が朝廷の命令で改変されたとまでは分かりません。
三国志の人物を調べるときよく目にするのが「正史にはこう書かれている」という説明です。しかしその正史もある時代を生きた人物が残された記録を選び、組み立てた歴史書です。誰が、どの王朝に仕え、何を目的として書いたのか。それを知ることは『三国志』をより丁寧に読む手がかりになります。
ここでは陳寿の経歴と『三国志』の構成を確認します。

第一章 陳寿は蜀の旧臣であり、西晋の史官だった
蜀で官職に就いていた陳寿
『晋書』陳寿伝によると陳寿は巴西郡安漢の出身で、同郷の学者・譙周に学び、蜀では観閣令史を務めました。同伝は、宦官の黄皓が権力を振るうなかで陳寿は迎合せずそのため繰り返し処分を受けたと伝えています。
ここで確認できるのは、陳寿が蜀の外から歴史を眺めた人物ではなく、実際に蜀の官僚組織に属していたということです。ただしこの経歴の記事だけから陳寿のすべての記述が蜀に好意的だったと判断することはできません。
蜀の滅亡後は西晋に仕えた
蜀が滅亡した後、陳寿はやがて西晋の官僚となりました。『晋書』陳寿伝には張華に才能を認められ佐著作郎や著作郎などを務めたと記されています。著作郎は朝廷における史書編纂に関わる官職です。陳寿には蜀の旧臣としての経験に加え西晋で歴史を記す官僚としての立場がありました。
『華陽国志』巻十一は、呉が平定された後、陳寿が三国の歴史を集め、魏・呉・蜀の三書、計六十五篇を著し『三国志』と名付けたと伝えています。陳寿が生きたのは三国時代の末期から西晋の時代であり『三国志』は三国の争いが終わった後にまとめられた歴史書なのです。

第二章 なぜ蜀出身の陳寿が魏を正統に置いたのか
本の構成に表れる魏の位置づけ
『三国志』は魏・蜀・呉それぞれの歴史を記しています。しかし三国の君主を同じ形式で扱ってはいません。
| 人物 | 『三国志』で置かれている篇 | 形式 |
|---|---|---|
| 曹操 | 武帝紀 | 紀 |
| 劉備 | 先主伝 | 伝 |
| 孫権 | 呉主伝 | 伝 |
「紀」は皇帝を中心に王朝の歴史を記す形式です。魏に紀を立、蜀・呉の君主を伝に置く構成には、魏を正統とする歴史の枠組みが表れています。ここでいう正統とは王朝の支配を正当に受け継いだものとして位置づけることです。人物の善悪や、戦場での強さを指す言葉ではありません。
西晋は魏から皇位を受け継いだ王朝だった
陳寿が仕えた西晋は魏から皇位を受け継ぐ形式で成立した王朝です。魏の正統性を否定することはその魏を継承した西晋の立場にも関わります。その意味で『三国志』の構成は西晋の成立事情と整合するものでした。
これは、本の構成と王朝の関係から考えられる解釈です。陳寿本人が、その構成を選んだ理由を一つ残らず説明しているわけではありません。陳寿を蜀出身という一点だけで理解することはできません。執筆時に西晋の臣下だったことも、あわせて考える必要があります。
第三章 西晋の立場で書いたことは人物評価にどう表れたのか
劉備や諸葛亮への高い評価も残している
魏を正統に置いたからといって陳寿が蜀の人物を一律に低く評価したわけではありません。先主伝の評では劉備の度量や人材の扱いを高く評価し諸葛亮に国を託したことにも肯定的な評価を与えています。諸葛亮伝の評では諸葛亮が公正な賞罰によって国を治めたことを称賛し優れた統治の才能を認めています。一方で、戦況に応じた軍事上の対応については、その得意とするところではなかったのではないかと論じています。
王朝をどのように位置づけるかと個々の人物の能力をどう評価するかは分けて読む必要があります。
曹髦の死をめぐる本文
政治的な立場と記述の関係を考えるうえで魏の皇帝・曹髦の死は参考になります。
三少帝紀の本文は曹髦の死を短く記した後、曹髦の行動を非難する皇太后の命令や司馬昭の上奏などを収録しています。本文に収められた政権側の説明を見ると事件が西晋につながる政権の立場を踏まえて記述されていることがわかります。ただしこの記述だけから陳寿がどの史料を読み何を理由に採用したのかまで確定することはできません。西晋への政治的配慮を検討する材料にはなりますが具体的な執筆命令や改変命令があったことの証明にはなりません。
第四章 『三国志』は皇帝の命令で書かれたのか
陳寿が史官だったことは確認できます。しかしその事実と『三国志』全体が皇帝の直接命令によって編纂されたことは、区別する必要があります。
比較に役立つのが陳寿による諸葛亮の文書の整理です。諸葛亮伝に収められた上奏文では、諸葛亮の事績や文書を整理するよう命じられた経緯が記されています。この仕事には朝廷の命令があったことを確認できます。
一方『三国志』そのものについて、『晋書』陳寿伝には陳寿の死後、范頵らの上表を受け朝廷が陳寿の自宅から書物を書写させたとあります。
| 確認したい事柄 | 史料で確認できること |
|---|---|
| 陳寿は朝廷の史官だったか | 著作郎などの官職を務めた |
| 諸葛亮の文書整理に命令があったか | 本人の上奏文に経緯が記されている |
| 『三国志』全体に直接の勅命があったか | 不明 |
| 著書は朝廷に取り入れられたか | 死後、朝廷が自宅から書写させたと記されている |
| 正確な完成年月日はいつか | 不明 |
朝廷に仕える人物の著作であってもその成立事情まで一括して説明できるとは限らないのです。

第五章 陳寿の立場を踏まえて『三国志』を読む
陳寿は蜀の官僚としての経験を持ち、西晋の史官として三国の歴史をまとめました。『三国志』の構成には、魏を正統に置く政治的な枠組みが表れています。
一方で本文には劉備や諸葛亮への高い評価も残されています。陳寿の立場を知ることは本文を一括して信用したり疑ったりするためではなく、記述の根拠や評価の組み立て方を確かめるために役立ちます。
次の二つの層を分けると何が史料に書かれ誰の判断なのかが伝わりやすくなります。
● 陳寿の本文――陳寿が採用した出来事と、陳寿自身の人物評価
● 後世の史書に見える評価――陳寿の経歴や著作について、後世の史家が記した説明
終わりに
陳寿が『三国志』を書いた立場は蜀の旧臣であると同時に西晋に仕える史官でもあったというものでした。出身国と仕えた王朝の両方を踏まえることでその記述をより具体的に考えられます。『三国志』は魏を正統に置く構成を採っていますが蜀の人物を一律に低く評価しているわけではありません。王朝の位置づけと、個々の人物への評価は分けて読む必要があります。
参考資料・出典
- 『三国志』
- 『晋書』
- 『華陽国志』



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