はじめに
武士のちょんまげを考えるには髪を剃る「月代」と残した髪を結ぶ「髷」を分ける必要があります。月代には兜の蒸れやのぼせへの対処だったという説明がありますが江戸時代の史料が述べる由来説として扱うのが適切です。
江戸期の髷には身分や職業、流行の違いも表れており町人も髷を結っていました。
一章 頭を剃る「月代」と髪を結ぶ「髷」
時代劇の武士といえば頭の前方を剃り残った髪を頭上でまとめた姿を思い浮かべる人が多いでしょう。ただしその髪型には髪を剃る部分と髪を結ぶ部分があります。
| 呼び方 | 指すもの |
|---|---|
| 月代〈さかやき〉 | 頭の前方などの髪を剃った部分 |
| 髷〈まげ〉 | 髪をまとめて結った部分 |
髪を剃る理由と髪を結ぶ形を分けて見ると戦場での実用をめぐる由来説と江戸期の装いの違いを整理しやすくなります。

二章 月代は兜の蒸れを防ぐためだったのか?
月代の理由としてよく挙げられるのが兜をかぶったときの蒸れやのぼせに対処するためだったという説明です。
この説明をたどる際に使えるのが江戸時代の故実研究者・伊勢貞丈の『貞丈雑記』です。武家の作法や装いなどを考証した同書には月代に関する記述があります。
貞丈は月代を頭の蒸れや気が逆上することへの対処と結びつけて説明しています。また合戦の間は月代を剃っても戦が終われば再び髪を伸ばし、惣髪に戻ったと述べています。この記述に従えば月代は戦に備える際の実用的な処置として理解されていたことになります。ただしここでは史料の成立した時代に注意が必要です。貞丈は江戸時代の人物であり中世の戦場を実見してこの説明を書いたわけではありません。
確認できるのは、江戸時代の故実研究者が月代を戦場での蒸れやのぼせへの対処と結びつけて説明していたことです。
実際に月代が始まった理由も最初からそれだけだったのかまではこの記述だけではわかりません。最初に始めた人物や正確な開始年についても史料からは不明です。
三章 なぜ戦が終わっても月代を剃ったのか?
『貞丈雑記』には戦の際の処置がその後も続く習慣になったという説明もあります。貞丈によれば戦乱が続くなかで月代を常に剃るようになり太平の世になってもその風習が残ったといいます。
これは平和な時代になっても月代が続いた理由を考えるうえで参考になる記述です。ただしこの説明も貞丈が過去の変化を整理したものとして読む必要があります。一方、江戸後期の髪型そのものを知るには当時の風俗を記録した喜田川守貞の『守貞謾稿』が役立ちます。
同書の男性の装いを扱う巻には、月代を剃った髪型の図と説明があります。そこで記録されているのは戦場に出る武士の姿だけではありません。日常の髪型としての髷には身分や職業、好みの違いが表れていました。
四章 江戸の髷には身分や流行が表れていた
『守貞謾稿』は当時の男性の髪型には月代の広さ、鬢の高さ、髷の大小や長短などにさまざまな違いがあると記しています。つまり江戸時代の男性が、全員まったく同じ髪型をしていたわけではありません。守貞は身分の高い人々について髪を多く残し、月代を狭くして、鬢を高く、髷を大きくする傾向を挙げています。そして身分の低い人々にはその反対の者が多いと述べています。
| 髪型の部分 | 『守貞謾稿』が身分の高い人々に挙げる傾向 |
|---|---|
| 残す髪の量 | 多い |
| 月代 | 剃る部分が少ない |
| 鬢 | 高い |
| 髷 | 大きい |
ただしこれは傾向についての記述です。「この大きさなら必ずこの身分」と判定できる厳密な対応表ではありません。さらに同書では以前は「本多」と名づける髷の形が多かったが当時は「銀杏」を名とするものが多いとも述べています。髷にはその時々の流行もあったのです。
ここからは髷が人々の立場や好みを外見に表す身なりでもあったと読み取れます。月代の実用的な由来を考えるだけでは江戸の髪型のこうした面は見えてきません。
五章 ちょんまげは武士だけの髪型ではなかった
髷は武士の印象と強く結びついていますが町人も結っていました。『守貞謾稿』は江戸・京都・大坂の三都の町人にも銀杏形と呼ばれる髷が多かったと記しています。また武士・商人・職人などの髪型を比較する図も載せています。武士と町人の間に髪型の違いがあったとしても、髷を結ぶこと自体が武士だけの特徴だったわけではないのです。
髷があるかどうかに加えて月代をどこまで剃りどのような形に結うかにも違いが表れていました。
時代劇の登場人物を見分けるときには刀や着物に目が向きがちです。しかし当時の史料を見ると、髪型も比較の対象になっていたことがわかります。
六章 明治の散髪に関する布告は何を認めたのか?
明治4年〈1871〉8月9日散髪や脱刀などを自由とする布告が出されました。『太政類典』にはこの布告が収められています。髪型について注目したいのは散髪を自由とする内容になっていることです。この布告をそのまま「ちょんまげを禁止した命令」と説明するのは不正確です。髷を結わずに髪を切ることが認められたという点は江戸期の髪型から明治の髪型への変化を考える際の、ひとつの区切りになります。
最後に
武士のちょんまげの意味を考えるときは月代を剃ることと髷を結ぶことを分けて見る必要があります。
『貞丈雑記』には月代を戦場での蒸れやのぼせへの対処と結びつけ戦乱のなかで続く習慣になったとする説明があります。ただしこれは江戸時代に記された由来の説明であり発祥の理由を確定するものではありません。
一方『守貞謾稿』からは江戸後期の髷に、身分や職業、流行の違いが表れていたことがわかります。町人も髷を結いその形にはさまざまな違いがありました。ちょんまげの歴史には戦に備える実用をめぐる説明と日々の暮らしのなかで育った身なりの文化が重なっているのです。
参考資料・出典
- 『貞丈雑記』
- 『守貞謾稿』
- 『太政類典』



コメント