はじめに―3行で結論
- ナポレオンが毎日3時間の睡眠で十分だったという説は一次資料では裏づけられません。
- 秘書の回想録には通常7時間眠りさらに午後に昼寝をしたという記述があります。
- 戦時の短い睡眠を伝える記録はありますがそれだけでは生まれつき短時間睡眠で足りた証拠にはなりません。
ナポレオンの睡眠に関する記録
秘書が記した7時間の睡眠と昼寝
ナポレオンの私設秘書ブルリエンヌは『ナポレオン・ボナパルト回想録』第28章で彼の睡眠習慣を具体的に説明しています。
その記述を要約するとナポレオンは通常、24時間のうち7時間眠りそれとは別に午後の短い昼寝もしていました。朝7時に起こすよう命じていたものの、実際に起こされるとさらに寝たがることも多く、急用がなければブルリエンヌは8時まで起こさなかったといいます。
さらにブルリエンヌはナポレオンを称賛する人々が、彼の夜更かしを誇張していると批判しています。これは身近で仕えた人物による眠らない英雄像への反論といえるでしょう。

従者が見た戦場での仮眠
身の回りの世話をしたコンスタンの『ナポレオン私生活回想録』第31章にも睡眠についての記述があります。
コンスタンによるとナポレオンは疲れたときや命令の結果を待つ間、戦場で15分から30分ほど眠ることがありました。また、疲れ切って戻ると軽い食事の後に再び横になり中断された睡眠を取り直したと記されています。夜間に報告のため起こされても対応が済むと再び眠れたという証言もあります。ここから読み取れるのは必要に応じて睡眠を中断しその後も眠っていた姿です。
夜の睡眠だけを数え仮眠や寝直しを除いてしまえば一日の睡眠時間を実際より短く見積もることになります。
本人の手紙にある2、3時間の睡眠
一方、短い睡眠に触れた本人の手紙も残っています。
1805年12月3日、アウステルリッツからジョゼフィーヌへ送った手紙でナポレオンはカウニッツ公の城館でこれから2、3時間眠る予定を伝えています。同じ手紙では疲労に触れそれまで8日間、寒い夜を野営で過ごしたことも説明しています。重要なのはこれは戦闘直後の特定の場面における予定だという点です。この手紙は一日の総睡眠時間や平常時の習慣を示した記録ではありません。

| 史料 | 確認できる記述 | その記述だけでは分からないこと |
|---|---|---|
| ブルリエンヌの回想録 | 通常7時間の睡眠に加え、午後に昼寝 | 生涯を通じた睡眠時間 |
| コンスタンの回想録 | 戦場での仮眠、中断後の寝直し | 一日分の合計睡眠時間 |
| ナポレオン本人の手紙 | これから2、3時間眠るという予定 | 毎日その時間で十分だったか |
科学的にあり得ないのか?短時間睡眠と睡眠不足の違い
ショートスリーパーの存在そのものを科学的にあり得ないと言い切ることはできません。
2009年の研究では人の短時間睡眠の特徴と関連するDEC2という遺伝子の変異が報告されました。また、その変異を導入したマウスでも睡眠時間の短縮が観察されています。必要な睡眠時間の個人差を生物学的に研究する根拠があるのです。
しかし短時間睡眠に関わる体質の研究があることとナポレオンがその体質だったことは別問題です。一次史料から彼に生まれつきの短時間睡眠の特徴があったかは不明です。また睡眠を削れば誰でも問題なく活動できる、という話でもありません。
2003年のファン・ドンゲンらの実験では健康な成人を対象に毎晩の就床時間を4時間、6時間、8時間に分け、14日間維持しました。4時間と6時間の条件では認知課題の成績が日を追って悪化しました。一方、自覚する眠気の増加は成績の悪化を十分に反映していませんでした。つまり自分では慣れたつもりでも働きに影響が出ている場合があります。ただしこの実験を使ってナポレオン個人の能力や体質を判定することもできません。科学からいえるのは短い睡眠時間だけを見て睡眠が足りていたと判断してはいけないということです。ナポレオンの功績の大きさも睡眠不足の影響がなかった証明にはなりません。

戦時の短時間睡眠が普段の習慣と誤解されたのではないか?
ここからは確認した記録をもとにした考察です。「毎日3時間睡眠」という通説が実際にどのような経路で広まったかは不明です。しかし私は戦争中の短い睡眠を伝える話が切り取られいつしか日常生活まで説明する逸話になった可能性があると考えます。
本人の手紙には戦闘直後に2、3時間眠る予定が書かれています。しかしこの場面の事情が省かれれば、ナポレオンは2、3時間しか眠らなかったという印象になりかねません。さらに仮眠や寝直しの記録が抜け落ちればますます睡眠の少ない人物に見えてきます。
ブルリエンヌ自身が、称賛する人々による夜更かしの誇張を批判していた点も気になります。少なくとも彼はナポレオンの睡眠をめぐる英雄化を問題視していました。偉大な人物には生活まで並外れていてほしい。そんな期待が眠らず働く英雄像を魅力的にしたのではないでしょうか。これは私の推測ですが功績を説明する際に睡眠時間のような分かりやすい数字が強調されることは想像できます。
けれど私には朝に起こされてもまだ寝たがるナポレオンの方がずっと人間らしく感じられます。疲れれば眠り必要なら起き、また眠る。その姿を知っても彼の歴史上の存在感が小さくなるわけではありません。眠らない超人だったから偉大なのだと考えなくてもよいのでしょう。休息を必要とする一人の人間があれほど大きく歴史を動かした。その方が私にはむしろ驚きです。
参考資料、出典
- ルイ=アントワーヌ・フォーヴレ・ド・ブルリエンヌ『ナポレオン・ボナパルト回想録』第28章
- コンスタン『ナポレオン私生活回想録』第31章
- ナポレオン・ボナパルト「ジョゼフィーヌ宛書簡」1805年12月3日付



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